不確定性関係と量子物理学でいうと例えば電子の位置と運動量とを同時に任意の精度まで詳しくは測定できないという関係である。
これを不確定性原理という人もあるが、私自身は山内恭彦さん(元東大教授)にしたがって「不確定性関係」と言っている。
これは互いに正準共役な物理量である位置座標xと運動量p_{x}との間の交換関係 xp_{x}-p_{x}x=ih/(2\pi) が成り立てば、数学的に導かれる。それで山内先生はこれは「原理」ではないという意味で不確定性関係と言った。
以下の話は変わって、「わかりやすさ」とは何かということである。
S先生という少し古風な数学の先生が居られたが、そのS先生の書かれた「微分方程式概論」(槇書店)は懇切丁寧に書かれた微分方程式の本である。
この本に書かれた微分方程式の級数による解法は自分で鉛筆をもって計算しないでも分かる程度に詳しく書かれている。だが、その計算はあまり見通しがいいとは言えないのだ。
同じことを扱ったK先生の本の該当箇所を読めば、計算等は自分で鉛筆を取ってやってみなければならないが、なんだかとても見通しがいい。
K先生はS先生よりは若くて現代的な数学の感覚をお持ちだということもあるのだろうが、「わかりやすさとは何か」ということを考えさせられた。
もう一例を挙げよう。
秋山武太郎という有名な数学の先生が居られた。彼は「わかるーーー」というシリーズの本を出されている。それらは現代でも出版されている名著である。
その一冊である「わかる三角法」という本も確かに数字を使い、具体例をたくさん挙げている。懇切丁寧なことこの上もない。ところが、そのために私にはかえって分かりにくく感じられる。
懇切丁寧に解説することが本当にいいことなのだろうかという疑問である。あまりに丁寧に解説するとそのために話の筋とか見通しが悪くなるということが起こる。
まるで電子の位置座標を詳しく測定するとその代償として電子の運動量の値の精度は位置座標の測定の精度に反比例して悪くなるように。
数学の本の「懇切丁寧な記述」とその「分かりやすさ」とには不確定性関係とは論理的には関係がないが、比喩的に不確定性関係に似たようなことが起こると思われる。
しかし、それにしても「わかりやすい」とはどういうことなのか。