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物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

100円ショップ1

2010-11-23 12:57:25 | 社会・経済

妻がときどき気の利いた小物を買って来ることがあり、どこで買ったのかと聞くと近くの100円ショップで買ったという。100円ショップはデフレの産物みたいなところがある。

いま、私の旧著「数学散歩」のミスプリを訂正しているのだが、その校正刷りが来たので、その訂正箇所を示すためにpost itを買いに100円ショップに行った。なんとか目的のものを買ってきたのだが、どうも思っていたものとはちょっと違ったらしい。

ほとんどの商品が100円ということで他のものを5品目ほど買った。これが結局100円ショップの目的なのだろう。別に衝動買いというほどではないが、それでもpost itだけ買うつもりが余分に500円分買い込んだ。

もっとも100円分の買い物のつもりが余分にあと500円分買ったといってもどれほど日本の経済に寄与するかというとまったくゼロに等しいだろう。だが、これは私だけではなくてこの100円ショップに来る人が同じようだとすると少しは日本の消費経済に寄与することになる。

もっとも100円ショップでも100円ではなくて300円とかのものもあるが、やはり基本は100円である。それで、書類のフォルダーでハードな表紙のものがあるかなと見て回ったがそういうものはなかった。これはいろいろな書類のコピーをファイルして保存するために探したのである。

もちろん、どこの文房具店でも売っているものであるが、500円くらいの値段がしてそんなに安いものではない。だから、それを100円ショップで見つけようとするのが本当は無理なのである。すでにいくつかのフォルダーを買ったのだが、それでもまだ十分に論文や本のコピー等の整理ができないでいる。


武富士の倒産

2010-09-28 12:11:31 | 社会・経済

高い金利で営業をしていたという、武富士が倒産した。過剰利息を手に入れていたはずなのにこれを返却しなければならなくったら、支払いができなくて倒産したと新聞等でいっている。

これは高利をとることを法律で禁止されたためらしいが、禁止されたといっても利息の上限を20%までに抑えられたということらしい。

それはともかくとしてこれは20%以上の高利をとらないと利潤が上がらないということなのだろうか。そうだとするとやはり会社としておかしいのではないか。もっとも貸し倒れが多かったのかもしれないが、誰かがやはり利潤を得ていたと考えるのが妥当であろう。

そして、過剰利息の返却をしなくてはいけないようになったら、それをほうかむりしてしまったにちがいない。これは単に推測としていっているので、確かな証拠があるわけではない。

お金を借りた人には厳しい返却を迫るような金融機関が実際に自分が金の返却を迫ままれると分割払いをしたり、また倒産してしまうという図はどう考えてもおかしいのではないかと思わざるをえないが、全然会社の中で内部留保がされていないとすると消費者金融の経営の危うさが浮かび上がってくる。

高利で貸す以外に生き残れない消費者金融というのはやはり社会としてどこかおかしいのではなかろうか。


水資源問題

2010-08-18 12:54:14 | 社会・経済
中国の水資源問題が新聞に出ていた。ところが水が豊富にあると思われている、日本も水の輸入国だという。その謂われははっきりとはわからないが、どうも食料を大量に輸入しているかららしい。確かに食料は水なしには生産できない。なるほどそういう輪環関係があるのかと思った。

中国ではインドとかタイやラオスに流れていく河の上流に大きなダムをつくり、そこから得た水を北京へと流そうとしているとかいう。とても大きな土木事業である。それくらい北京には水が不足しているらしい。中国はこの例で見てもわかるように大きな土木事業が行われているらしい。

水問題といえば、猪瀬東京副知事が東京の水道局の水の配水事業の優秀さを外国に売り込みたいとテレビで言っていた。これは東京都は水の漏水で失われるパーセントが3%未満だとかでこれは世界各都市の実績と比べてすごく少ない漏水率なのだそうである。

こういった技術が日本にはたくさんあるのだろうが、それを生かして世界に貢献できれば、いいと思う。省エネ技術にしても工場廃水からいろいろな資源を回収しているとかいう。そして廃水はきれいになるし、また、経済的にも利益を得ることができるとすれば、大いに結構なことである。これは廃ガスでもそうであるらしい。たとえば、鉄鋼会社の煙から有効な資源を回収することで経済的にも潤うし、有害でなくなるとすれば、これは大いに結構なことである。

こういう技術はたくさんあるのであろうか。日本の経済だとか技術とかが不振だといわれているので、どこからブレークスルーするか日本人の賢さが問われている。




囲いこみ

2010-06-03 15:15:35 | 社会・経済

囲いこみとは一般には言わないのかもしれないが、グループ企業とかその連携した企業等が系列以外に利益というか顧客が逃げないようにするという工夫がいろいろ行われている。企業のグループ化といった方がいいのかもしれない。

たとえば、卑近な例ではいつも入れるガソリンスタンドとどこかのカード会社とがグループ化しているとか。航空会社の全日空とホテルとの連携とかである。

これがいけないと言ってみてもはじまらない。社会がそんな風に動いているのだから。企業はどこでも少しでも以前よりも利益をあげたいと思っている。それがこのようなグループ化を指向させているのであろう。

ただ、その囲い込みがすさまじくなってくるとちょっと滑稽でもある。そんなにしてまでも顧客を自分たちのグループから放したくないのかと。

だが、資本主義社会での競走は激烈である。だから、なりふりかまわずグループ化でもなんでも走ってしまう。

民主党政権の目玉の一つである、子ども手当てがそろそろ支給されるとなれば、なりふりかまわずスーパーはその手当ての額に見あった商品を売り出すと昨日のテレビ報道で見た。逞しい商魂というかすこしお寂しいというのが偽らざる気持ちである。

そういった「囲い込み」ではないが、かつて「囲い込み」という語を使ったドイツ語学者がいた。この「囲い込み」は普通にはドイツ語文の枠構造といわれるものである。ドイツ語で過去のことを言うときに使う現在完了形では

Ich (habe) ihn in der Stadt (gesehen). (私は彼を町で見かけた)

といったようにhabeという助動詞と本動詞のgesehenとが離れて枠をつくっている(注)。また、話法の助動詞を使った文でも

Er (kann) Auto (fahren). (彼は車の運転ができる)

といったように、kann できるという話法の助動詞と運転するという本動詞fahrenとは離れており、本動詞は文末に来る。

これは普通の単文の平叙文の場合だが、もちろん複文の場合でも従属の接続詞と本動詞とで枠をつくっているとかドイツ語にはこういった例がたくさんある。というか、そういう風にドイツ語の構造を理解するように文法をつくってきたのであろう。

囲い込みのできる言葉がいくつかあって他の文成分はこの間にはいっているという構造はなんだか企業の行っている囲い込み(グループ化)と思想的には同じもののような気がする。もっともドイツ語での「囲い込み」は何の利潤ももたらさないけれども。

(注)Ich (habe) ihn in der Stadt (gesehen). のhabeとgesehenとを囲んだかっこはこの二つのかっこで文の「囲い込み」が成り立つことをはっきりさせるためである。それ以外の意味はない。


相撲産業

2010-05-26 13:16:56 | 社会・経済

日本大相撲は相撲産業だと実感した。

5月22日に両国の国技館で5月場所を観戦した。前の日に白鵬の優勝が決まってはいたが、それでもはじめてみる大相撲は迫力があり、皆様にも機会があればお勧めしたい。

どうして相撲産業だと実感したのかというと、取り組みの2番か3番で呼び出しさんと行司さんが代わり、土俵をほうきで掃く人、控えの力士の座る座布団を運ぶ人、茶屋の桝席に観客を案内する茶子さんとか大相撲に関わる人の数の多さを実感したためである。

茶屋さんは25あるようだし、力士だけしか知らない私たちにとっては大相撲産業であって、これで生計を立てている人の数が想像を越えていたということである。

最近では大相撲は昔ほど盛んでないとは聞くが、どうしして、どうしてそんなに簡単に言い尽くせるものではなさそうである。ごく最近では会社も終身雇用でなくなっているので、産業としての空洞化がいわれているが、大相撲はなかなか大したものであろう。

もっともそれは日本大相撲協会がまったく問題を持たないということではないだろう。外国力士の増加に伴って大相撲の伝統もある意味では崩壊しているともいわれる。

その側面はまったくないというわけではないが、やはり土俵上での闘いのあとで、一礼をして別れるという習慣はちゃんと守られている。これは古めかしいとも言えようが、ある意味ではお互いの健闘を称えあっているとも考えられ、必ずしも悪い感じはしなかった。

外国力士の多さを憂う日本人も多いと聞くが、私個人にはあまり違和感はない。むしろ、テレビなどでの日本語の話上手さをみるときに、自分の外国語の修得がなかなかできないことを省みて、驚異を感じている。


MonogamyとPolygamy

2010-01-20 11:21:10 | 社会・経済

MonogamyとPolygamyとはあまり聞かない言葉かもしれない。訳をつけるとMonogamyとは一夫一婦(制)でPolygamyは一夫多妻である。近代的な西欧や日本の法律では一夫一婦制であり、一夫多妻ではない。もちろん事実として一夫一婦(制)に反する例は日本でも枚挙にいとまがないかもしれないが、少なくとも建前はそうである。

ところがイスラムの社会ではこれが必ずしも建前としても原則ではない。むしろ一夫多妻であることが普通である。

30数年前にフライブルクのゲーテインスティチュートで知り合いになったシャバーナ氏はエジプトの放射線化学者であったが、仲間の日本人がこのイスラム社会の一夫多妻制をからかったときにまじめにそれはちがうのだと言っていた。

イスラムの社会で女性が一人で生きていくことが難しかったという歴史的な状況からこのような一夫多妻制度ができたのだという。それはもしかしたら男性の勝手な理屈かもしれないが、それだけではなくイスラムの社会の理にあったものだろうと思った。

もっともシャバーナ氏夫人もまた放射線化学の研究者であって、彼が一夫多妻を実行しているわけではなかった。シャバーナ氏がドイツに来た後でエジプトから彼の子供さんたちも来て、親子仲良くカールスルーエに一家で住んでいた。

私たちが外国語を習う理由の一つに自分たちの考え方以外の自分たちとはちがった考え方を知るということがある。そして、自分の母語以外で外国人と話したり、意見を交換したりするようになると、自分の考えが良し悪しは別としても如何に限られたものであったかを悟るのである。


どこかで聞いたような?

2010-01-08 17:44:10 | 社会・経済

今日の朝日新聞で「日本 前へ」というシリーズの5回目か6回目を読んだ。このシリーズは毎回興味深いが、今回の話は日本の個別の技術には見るべきものがあるが、それを全体の大きな商品というか、たとえばグリーンテクノロジーといった観点から見てどうもそれを生かすのが日本人や日本の企業とか国とかが下手だということを指摘している。

たとえば、ソーラーパネルにしても変換効率のような日本の技術はいいが、あまり全体的な利益につながるようには現在は機能していないという。そしていまではソーラーパネルを用いた発電の量はすでにヨーロッパの後塵を拝しているとか。

風力発電でもその開発に遅れてしまっているという。ところがその主要な部品であるボールベアリングとか風車の主軸は日本製のものが部品として優れた製品として採用されているのだそうだ。それらは他を圧倒しているのに全体としてのビジネスとしては風力発電全体のごく僅かの部分しか市場を占めていないという。

このような話は何十年も昔に聞いたような気がする。それは「システム工学」のことでアメリカが月に人を送り込んだときにもてはやされたものであった。

システム工学の何たるかを私がよくわかっているわけではないが、現在すでにある技術や製品を組み合わせてそれで月ロケットをつくり、99.999%かそれ以上の確かさで人を月に送り込むアポロ計画のときにもとになったといわれる考えである。

あれは1969年か1970年頃のことであるから、それからもう40年近くたったが、その教訓をまったく活かしていないようである。どうも日本の技術や会社の開発部門の担当者はどうもそういうところで遅れをとってしまっている。これは何に起因するのだろうか。もともとの日本の教育に起因するのか。

いや、これはどうも日本の技術のいいところでもあるし、欠陥でもあるのだろうか。

確かに技術的に優れたものは売れるという迷信があるのかもしれないが、技術的に先進国でもなくてもそこそこの技術国でも現在の技術をうまく組み合わせれば、トップ企業として風力発電にしろ、太陽発電にしろ売り上げをあげて世界的なシェアを占有することができるという発想はあまりに日本的ではないのであろうか。

私たちにも深く反省を迫るものがある。

それにしても昨夜のドイツ語のクラスで聞いた話は衝撃だった。それはソーラーパネルを屋根に取り付けた家でこのごろ雨漏りが激しいのだという。これはそれに対する対策がいずれ考えだされるではあろうが、これは現在までのところある種の盲点であろう。


ドイツでは年金が上がる

2009-07-03 13:33:32 | 社会・経済

7月1日からドイツでは年金が2~3%だがあがる。車の税金も排気量だけではなくて炭酸ガスの排出量等に依存して変わることになる。

また、健康保険をいくらか払い戻すということを検討している保険会社もある。もちろんドイツでは日本の消費税にあたる付加価値税が15%と高いがその分老後の生活が日本より安定している。問題は消費税を高くしてそれを何に使うかという点で日本の政策は明瞭ではない。

多分軍備や公共事業に使って、福祉にはあまり使わないだろうという不信を普通の人は思っている。消費税を高くしてそれが確実に福祉だけに使われるという保障はまったくないのである。

もっともドイツでも年金生活者は不満をもっている。だが、普段の生活を切り詰めているだろうが、年間数週間の休暇をとることができる彼らの生活は学ぶべきところがある。これはフランスでもある程度同様である。

もっともいずこも失業者が多くて問題は多い。だが、日本のように派遣社員の地位が低いところはない。これはアメリカに似ているというのは皮肉である。

また、日本の現政府のように国民給付金を出して選挙対策をして選挙で勝てばすぐに増税というのはあまりに馬鹿げているから、年金がドイツで上がるのもその類ではないかと疑う人もいる。それは当然だが、一種の内需喚起の対策ともいえるかもしれない。

日本の車がヨーロッパで売れ出したので、日本の車メーカーである、ニッサンとかトヨタは車をヨーロッパで増産し始めたと聞いた。


紀伊国屋書店の閉店

2009-06-08 11:40:11 | 社会・経済

松山市の紀伊国屋書店が7月で閉店するという。それで昨日書店から以前に預けた自著の「数学散歩」を清算したいと電話がかかってきた。それで明日の16時に店舗に行くと約束をした。

今朝になって妻の友人から閉店をしないでとの請願の署名をするから協力をしてと電話があった。でもなかなか閉店取り止めとはならないだろう。このごろはインターネットで本を買うのが簡単になってきたから。書店があれば、実物を見て購入するかどうかを決めることが出来るが、このごろではGogooleで中身の一部を見ることが出来るようになっている。

堀源一郎著の「ハミルトンと四元数」という本が出ているので、それが私の望むような内容なら、購入したいがこれはGogooleでは見れないので購入には踏み切れないでいる。こういうことはあるのだが、やはりインターネットの書店にはかなわないだろう。残念だ。


e-Taxによる確定申告

2009-02-26 11:34:42 | 社会・経済

今年も確定申告の季節となった。昨日は1年ぶりに所得税の還付の申し込みをした。順調に作業ははかどったが、最後にactiv-Xなんとかが出て、中断したがそれも指示に従ってなんとかクリアした。

ここ数年は計算書をプリントして税務署にもって行っていたが、昨年からe-Taxを使うようになった。1昨年だったかそのときは税務署に書面をもって行ったが、ぐっと税務署に来る人数が減っていると感じた。昨年はe-Taxを使った人は2割とのことであったが、今年は利用がもっと進んでいることであろう。自分で書類を作り出しようになったのは退職後した4年前のことであった。

それ以前は税務署の人がちゃんと書類の記入にも手伝ってくれていたとは妻の話である。それが税務署も忙しくなったのか自分で書類を作りなさいという風になり、それから計算書はインターネットを使えば、簡単にできるようになった。

それがこのころは税務署にも行かなくて済むようになった。労力は大いに省けるようになったが、昨年はその準備がなかなかできなくて1週間ほどかかったが、今年は数時間の手間ですんだ。


カウンターカルチャー

2009-02-23 11:38:52 | 社会・経済

カルチャーに対してカウンターカルチャーという語がある。

これは何を意味するのかと思って、検索をして見ると伝統的・支配的な文化に対する対抗文化だとある。またはヒッピー文化だとある。

インフレターゲット政策がカウンターカルチャーなのかどうかはよくはわからない。特に経済政策のことだからこれは文化とも言えないだろうか。

ともかくも世の中の経済学者の中で主流を占めている人たちはインフレターゲット政策を支持はしていないようである。

ブログにはインフレターゲット政策を支持するものがあるが、世間的にはなかなか風当たりが強いのではないかと心配をしている。

新聞に少なからぬ経済学者が書いているところでは日本の金利が低かったことで日本の円を借りて、アメリカをはじめとした世界に投資し、利益を得ようとしてきたことの結果が今回の金融危機だという。

それと現在の危機では金利を下げて金融を緩和して投資を誘っている。これらの意見の間のギャップは大きい。少なくとも現在の危機的状況においては金利を下げることは許されるとしてもこれはいつまでも続けることではないという気がする。

しかし、実際には円安誘導とか輸出拡大のためにこういう金利を低く抑えるという措置が長く取られてきた。

こういう議論を見ているとまるで進化論と分子生物学とのギャップを見ているような気がする。

個々の遺伝現象と大きな流れとしての進化論には理論的なギャップが存在しているようだというのが、私の理解である。

これは遅れた理解であるかもしれないが、まだすっきりとはしていない問題ではなかろうか。

進化論と分子生物学のそれぞれは正しいのだが、それをうまくつなぐリンクはまだはっきりとはしないようだという感じを生物学の門外漢としてはもっている。


ある推測

2009-01-16 12:45:52 | 社会・経済

これはまったくの推測であるから統計とどれくらいはずれているかを誰か調べて欲しい。

いま派遣労働者は300万人といわれている。これは全労働者の1/3といわれているが、そうだとすると1200万人の労働者がいることになる。

いま日本の全人口は1.2億人である。それ全体が家族4人の標準家庭とは考えられないが、簡単のために仮に就業人口は全人口の1/3としよう。そうすると4000万人の就業者がいることになる。この就業者は自営業や農業、漁業もあり、公務員や教師の方もいるだろう。

また、労働者といわれる企業で働く人もいる。この労働者としては一応技術者や管理部門の総務、人事、販売部門の人は入れないとする。

いま、1200万人の労働者うちで、300万人が派遣労働者であるとすれば、他の分野でもそれくらいの割合で非常勤の人がいると単純に仮定してもよかろう。そうすると全就業人口の1/3の1333万人の非常勤就業者がいることになる。

特に20代、30代のうちでこの非常勤または派遣またはパートタイムの雇用が多いと考えられるが、それでもすべての年代にわたってこういう不安定な雇用で働いている人の割合は1/3とする。これらの人は収入が少ないとか不安定であるために結婚をしたくてもできないと考えられる。

そうするとこれらの若年人口からの子どもの出生率はとても低いことになる。現に出生率は1.56?とか2を切っているが、これだけではなく人口を増やす政策は労働政策からも期待できないことになる。

もっとも私個人の考えでは日本の人口は8000万人くらいが適当ではないかと考えているけれども、それとは別に人口の減少を食い止める政策をとりたいのならば労働政策をまず改めなければならないと考えるがはたしてどうだろうか。

(2012.2.17付記) 現在では将来の少子高齢化が憂えられているが、私は老人と女性をもっと働く環境におけば、それほど問題がないと考えている。もっとも老齢になって働きたくないという人に無理に働かせることはない。

そうではなくて健康で働く意欲のある人に働く場所とか機会を与えるべきだと思うのである。もっとも老齢の人がいつまでも現場で権力をもつような環境には反対である。相談役や実務のような職に退くべきだろう。

それと女性が子育てをしながら、または子育てを終わった後にまた社会で働く場所と機会を与えるような社会になれば、それらの人からも所得に応じて税金を徴収することができる。または年金を減らすことができる。そのような仕組みはできないものだろうか。


safety net

2009-01-10 11:24:47 | 社会・経済

safety netが必要だ。3月末までに85,000人の派遣労働者が職を失うという。企業は業績が悪化すれば、派遣労働者の首を切ればすむが、社会としてはそれではすまない。小泉改革の内幕がこんなに不人情のものであったのはこの頃では社会全体の周知の事実となったが、政治として問題なのはそういう事態に備えたsafety netがまったく考えられていなかったことだ。

これは政治の責任でそれを放置した自民党は責任をとらなければならない。しかし、どうみてもその責任をとろうとはせず、2兆円の給付金でごまかそうとしている。それが不人気なのは自民党の政治家の多くもわかっているらしいが、それを率直には認めようとはしない。

科学的な論争に負けたときにはそれを率直に認めるということを私は科学者に必要な資質と考えているが、それをもっている人はすくない。もちろんこのこととはまったく矛盾するが、一度言い出したことはそれを容易なことでは撤回しないというのも科学者に必要な資質である。

社会の識者の間では資本主義が行き過ぎたことはもう十分に認識されてきてはいるが、まだそれを認めたがらない人たちも多い。また、資本の論理はあくことなき利潤の追求であり、そのためには人がどこかで餓死をしようが、またガザで起こっているような砲撃によって一般の人が死亡することも辞さない。人はどこまでも非情なものである。


火災保険

2008-12-26 10:35:58 | 社会・経済

火災保険をかけられないということで一万数千円の火災保険を来年度は解約することにした。生活が困窮してきて、あまりたくさん入っていたわけでもない学会を一つづつ辞めてきている。これらは年会費が一万円強かかっていたからである。それでも年間2万円足らずの火災保険をかける費用が出ないという。

火災保険はあまり確かに必要ではないが、地震災害の補償の費用も入っているので、どうかと思っているが、それでも費用が出ないといわれると仕方がない。年金生活に入って3年目だが、これでは生活ができない。もちろん、勤務していたときと同じようには生活をしてはいないが、それでもなかなか生活は厳しい。

これは私の生活がちょっと豪華な生活なためのように聞こえるが、事実はつつましやかなものである。私たち年金生活者がこんなことでは若い派遣労働者はもっと生活が切り詰められているだろう。

金利をいくら安くしても経済はあまり向上はしないだろう。円高を防止するためと称して日銀が金利を下げたが、これは本当によかったのだろうか。以前から金利の安い円の資金を調達して、アメリカに投資することから今回の金融危機が起こったとも聞く。そうだとすれば、単に金利を下げるだけではあまり有効にその効果が出るとは思われない。

小林慶一郎氏も朝日新聞で書いていたように、やはり必ずしも輸出関連ではないところに国の予算をつぎ込んでゆるやかな社会の維持を図るという方向に転換せざるをえないのではないか。ものをつくって、外国に売る。それで国の繁栄を支えるという考えからできるだけ早く脱却しなければならない。


製品を造って売る

2008-12-13 16:50:50 | 社会・経済

この頃のように企業の製品が売れなくなって派遣社員を解雇するというニュースが続くとどうも製品を製造して売るというシステムが破綻したわけではないが、限界を見せたという風に感じてしまう。これは行き過ぎた考えだろうが、アメリカのビッグ3が今にも破産しそうになると今までの繁栄はなんだったのかと疑問に感じてしまう。

では製品を製造して売るという行為以外に何かやり方があるのかといわれれば、沈黙をしてしまう以外にないのだが、何かを買うことのできる人々がたくさんいてやっと現在の資本主義というか市場経済は成り立っていたのだなと納得をする。

確かに企業は派遣社員を大量に雇用して、もし景気が悪くなればその人々をとかげのしっぽのように切り捨てて自分の会社の温存を図る。これは合理的な考えであろうが、一方で製品を購入してくれる人々の生活を切り捨てているわけだから、実は痛し、痒しである。

トヨタのようにアメリカ経済に大きく依存して車を売っていた会社はその影響をもろに受けてしまう。内需拡大とかいわれたのはかなり前のことだが、その内需の拡大もそれほどではなくやはり輸出に頼っていたということだろう。経済の専門家にこの点を正したいと思う。あなたはどういう考えでいままできたのか。これは単に金融の公定歩合を上げたり、下げたりではすまないのだと思う。

そういうことを根本から考えてくれる経済学者はいいが、そうでないとこういう事態になると右往左往するだけである。約300万の派遣労働者がいるという。それに家族もあるいは加えれば、1000万近い人が大きく影響を受けている。これで資本主義が勝利したなどとはいってほしくはない。むしろ失敗ではないか。それに対するいい解決策はすぐには出てこないだろう。

福祉の政策としての介護とか病院のケアとか老人のケアとかは仕事としてはなくならない。それに従事する人の待遇を改善できれば、働く場所の確保にもなるし、福祉への貢献にもなる。それ以外にもいくつかの考えはあろう。教育もいつも欠かせないものである。そこにもお金をつぎ込むこともできよう。そしてそれはまったくの浪費のようでもあるが、未来に人材の育成の結果として社会にある意味で帰ってくることでもある。

いま単に製品をつくって売る以外のそのようなものごとに力を入れるとすれば、消費も上向くし、結局は景気もよくなってくるのではないか。そういう直には製品をつくるのではない分野で必要欠くべからざる分野をいくつか拾い出し、重点的に伸ばすことをするべきではないのか。

それらは国の予算からすると使う一方で多額の税金を納めてはくれない分野と思われているが、そういった発想の転換はできないのか。