ホーエンシュタウフェン

生きるために食え、食うために生きるな。

また地震です

2012-04-01 23:19:41 | 東日本大震災・地震関連

ま~た大きな地震です。

福島県浜通りは震度5弱。久しぶりにブイブイ緊急地震速報が鳴りました。

長かったですよ~!

こういう長いのが頻発すると、地盤がますます緩んでいくでしょうね。

TVではまた「原発に影響は・・・・」と、やってます。いつも震源が原発に近いところにあるもんですから、ビクッとしますね。

4号機なんて倒壊しそうな上、燃料棒がギッシリ入ったままなんで、いつどうなってもおかしくなさそうですし・・・

ふくいちライブカメラで観ている感じでは、異常はなさそうです。

これから寝ようという時に、揺れないでほしいですね。


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ま~た地震ですよ~

2012-03-27 20:40:04 | 東日本大震災・地震関連

最近は少なくなってきていたんですが、今夜8:00頃、揺れましたね~。

平成24年03月27日20時05分 気象庁発表
27日20時00分頃地震がありました。
震源地は岩手県沖 ( 北緯39.8度、東経142.5度)で震源の
深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は6.4と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。

岩手県  震度5弱 宮古市茂市* 山田町八幡町 野田村野田*
          滝沢村鵜飼* 花巻市東和町*

震源が海底域の地震は、「ぐぐぐぐぐおぉぉぉ」という本当に小さな音、というよりは音波みたいなのが耳を圧迫するので、揺れ始める前から感じます。

震源は岩手県沖、最大震度は5弱だそうです。

私の部屋の家具なんですが、余震が続くと結構定位置からずれるんですよ。

「あれっ?こんなに動かしてないよな~?」という位、ズレてます。

1階はまぁ、ましなんですが、2階は結構揺れるので、余震の繰り返しで家具が動くようです。気持ち悪。

しかし、この家、耐震補強もしてないし、この先大丈夫なんだろうか。

今度、屋根裏に登って、骨組みに異常が無いか総点検せねば。

地震の度、「〇〇の原発では・・・」みたいな放送がありますが、地震位で一喜一憂するようなモノ、やめちまえ!と思いますな。

かつてこれほど地震が頻発する年はありませんでしたね。

しょうもない民放なんか見てるより、地震速報見てる方が面白い。


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【311】震災中の生活を振り返る

2012-03-11 20:17:02 | 東日本大震災・地震関連

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人によっては「またかい!」と感じる、311の話。

1周年を各々どう感じるかはともかくも、東日本大震災から今日で1年、本日の14:46に私は、自宅の台所でTVの震災追悼の慰霊祭を観ながら、ローソンで買ったざる蕎麦を食べていました。

陛下が被災者のみならず、当時避難誘導のため逃げ遅れ亡くなった方々や、海外からの支援に感謝している事など、術後間もない老体をおして多方面に気を配られておられる御姿が印象的でした。

さて1年前はまさに戦争状態。

直後から電話は不通、ネットも不通、無事だった我が家に帰ってきてみると、まず玄関が無茶苦茶、台所の食器は盛大に割れており、ストーブの上のヤカンやトイレの水があふれた跡が。

TVをつけると、今まで見た事の無い、日本列島全部を覆った津波警報の赤やピンクのライン。

「あの揺れなら当然そうなるだろう」と感じましたが、まだ実感というか、事の重大性を感じなかったのです。

ひとつは、家族の怪我や自宅の破損などが無かった事、ひとつは普通通りに買い物が出来、車の往来が多いなど、見た感じは普段の夕方~夜の光景と変わりなかった事。

震災の当日はとりあえず、缶詰とカロリーメイト等をまとめ買いしましたが、その後完全に物流がストップし、完全な混乱にいたる事は、思い至りませんでした。

翌日、津波で自宅が流された嫁の実家と連絡が取れ、とりあえず現場に急行すると、嫁の家族は全員避難して無事だった事、生活の見通しが立つまで義理の姉(知的障害者)と飼っていた犬を預かる事を約束しました。

その日、40数km程北にある、福島原発1号機が爆発していました。

しかし、原発が深刻な状態だと知ったのはもっと後の事で、その頃は日々の生活をうまくまわすのに心を砕いていて、私も必死でした。

食料ですが、正月の残りの餅と米、野菜類の在庫がそこそこあったので、とりあえず雑煮を大量に作って他の食料(シリアル、缶詰など)の温存を図るとともに、おにぎり等、食べ残しの無いメニューを嫁に指示。

震災当夜、まず水道が止まり、その次に都市ガスが止まりました。

我が家は料理にガスコンロを使用しているので、料理はすべてホットプレートで行いました。

ホットプレートは煮物・炒め物・鍋物など大概の料理に使用可能なので助かりました。

停電になっていたらアウトでしたが、この辺に関しては震災後ついぞ、停電は起こりませんでした(411の大余震に際30分程度ありましたが)。

しかし、電気の安定供給も怪しかったため、シチリンを用意し、山に入り燃料の松ぼっくりを拾いに行きました。

水が出ないのは困りました。

給水車が来たりしていたようですが、その場所に関する積極的な公報も無く、行ったら行ったで売り切れ御免状態。

それで、クルマを使って川から水汲みのピストン輸送を実施したわけなんですが、こっちも必死になって1回の輸送量を多くしたいがため無理をし、そのせいで傷めていた腰を決定的に悪化させてしまい、以後積極的な行動が出来なくなってしまいました。

ヘルニア由来の猛烈な坐骨神経痛です。

座ってていても痛い、横になっても痛い、会社が原子力災害による休業となり、家にいる間は常に布団に入っているようになりました。

当然病院も閉まってますので治療できませんでした。

その内、原発事故の報道の影響もあり、ウチの近所はほぼすべて、どこかに緊急避難したようで、我が家周辺はまったく無人の住宅街になりました。

私は、犬もいる、知障の義姉もいる、親もいるという事情でどこかに避難するという事をしませんでしたが、それは積極的な理由ではなく、「パニックにならない事」、「浮足立たない事」、「緊急時こそ落ち着いて行動する事」という意識があり、下手に動き回らず、じっとしている事が一番得策だ、と感じていました。

それは、①僅かなガソリンをいたずらに消費せず、②トラブルに巻き込まれず、③金もかからず、④他者に迷惑をかけず、⑤衣食住は確保される、と感じていたからです。

放射性物質の流出の動向を踏まえたうえ、電話で連絡を取り合っていた埼玉の兄も同意見で、結果的に何の問題も起こりませんでした。

避難した人もその内ポツポツ戻ってきましたが、やはり避難先では色々あったようです。

親戚とモメた、目的地が無い上ガス欠になった、金がかかった、オムツが無い、など・・・

帰ってきても、「お前は逃げただろう」という目で見られる人もいるらしく、特に役所の人間や病院関係者、ペットを安楽死させて逃げた獣医などは、特に軽蔑の対象になっていました。

コミュニティ意識の強い地域は、助かりたくて、あるいは赤ん坊を助けたいと思って避難したのに、戻ってきづらい空気も同時に醸成されちゃっていましたね。

別に自由の国なんだから、どこに避難しても良いと思うんですが、それぞれにそれぞれの事情があるにもかかわらず「逃げた」と揶揄されるって・・・これだから田舎はイヤ。

また、会社関係のツテで、内密に水面下で個人的に支援物資を持ってきてくれた人がいて、その時はとても助かりました。

タその中にはバコとか、コーヒー等の嗜好品もあり、それらが入手できない中、それがとても息抜きになりました。多謝。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

震災から1か月経過したころから物流が回復し、徐々にもとの生活に戻っていったのですが、何か悪い夢でも見ていたんじゃないか、という「非・日常」で「現実とは思えない」日々が、遠い昔の事のように感じています。


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地震後 近況3

2011-05-03 20:26:26 | 東日本大震災・地震関連

震災から50日が過ぎました。

震災時のモノ不足が嘘のように、物流が正常な状態に戻っています。避難所などは救援物資が余っているらしい。

ガソリンスタンドなども、「いったい、あの騒ぎはなんだったんじゃい!」てな位、何事もなかったように営業。

ただ、ガソリン不足については私もホントにトラウマになり、今では少しガソリンが減った程度で補給してしまいます。

親戚が被災、水不足で川へ水汲み・・・今回、燃料が無いせいでクルマでの移動がままならず、出来ない事がたくさんありましたので。

嫁の両親も、やっと雇用促進住宅に住める事が決まり、引っ越しもあらかた済んだというのに!義父が避難所生活の際、夜中トイレに行ったときに段差につまづいて転倒。

大腿骨骨折で救急車→入院です。

好事魔多し、です。

私はと言えば、震災中に痛めた腰が未だ完治せず、痛みと日々戦っているような毎日です(坐骨神経痛)。

これがなかなか治らず、痛みが強い時と弱い時がある、というように波があり、良くなってんだかなんだか判らんような状態。この痛みは辛いですよ~!

私の会社ですが、夏場の電力消費を抑えるためゴールデンウィークを返上して操業しており、この連休のさなか出勤です。

この連休を使って自宅の被害箇所の大掛かりな補修を考えていましたが、仕方ないですね。

今回の地震での被害で速やかに直さねばならないのは屋根瓦です。

3.11の本震には耐えたのですが、その後の4.11、4.12の余震で瓦に被害が出ました。

007

色の違うところが落っこちた部分(今は中古の瓦を仮載せしてる状態)。このタイプの「S型スレート瓦」は現在生産しておらず、取り壊しの決まった半壊家屋から頂いたモノ。

008

瓦を固定していた粘土?も激震のため剥がれてしまっています。

その後の風雨で更にボロボロになりました。

009

010

雨対策のため、とりあえず応急的に瓦を「載っけている」だけなので、再度大きな余震が来たらヤバいのですが、しっかり固定するための時間的・体力的余裕が今はありません。

004

これは、二階の瓦が一階の瓦に落ちたため破損した部分、頂いた瓦で交換した箇所です。

ちょうど一年前のGWに、DIYで屋根瓦を全塗装していたため塗料が接着剤の役割を果たし、この程度の被害で済んだのではないかと感じています。

(瓦用の塗料は粘着力が高い。しかも本塗装(二度塗り)の前に防水用下地剤も塗っていた)

二階の瓦を固定するため「下地粘土パテ」が必要なのですが、同様の被害にあった家がかなり多く、この粘土がどこに行っても品切れ状態。

通販でも買えるので、その内調達しなくては。

また、家自体も軽微ですがあちこち破損箇所が。

001

玄関先の土台部分にクラックがあったのでコーキング。

012

また、北側の外壁の一部が剥がれたので、落ちた破片を元通りに組み合わせ、「樹脂モルタル」を接着剤替わりに使い補修。

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また、二階にある電話線を引き込むための取り付け基台ですが、本震の際に壁から剥がれたので自分で直してガッチリ取り付けたのですが、その数時間後に余震でまた剥がれました。(4.11です)もう、放っておいてます(笑)

013

放射性降下物の影響でずっと洗っていなかったエクシーガですが、久しぶりに綺麗にしました。

震災中は、葬式で7人フル乗車、家財道具・瓦や資材の運搬に、最近は飲み会の送迎にと、大活躍のエクシーガです。

やはり、以前のB4と比べると積載量が段違い。

7人乗れて、荷物も積めて、走りもGood。ガソリン不足も解消しましたから、これからどんどん走るぞ。

マッシブなサイドビューがイイネ!

011

また、家族となった被災犬カズも、私の両親に犬舎を買ってもらい、安心した様子で生活しています。

最初うちに来た時は、私の手に本気モードで噛みつくなど、気が立っていたようでしたが、最近はここでの暮らしにも慣れてご覧のとおりです。

毛づくろいをしてやったり、ダニのチェックをしてやったりするのが帰宅後の私の日課になってます。

003

かくいう私も震災・余震、モノ不足で結構気が立っていたのでしょう、最近は溜まった疲れが出てきたせいか、夜しっかり眠れています。

まずは腰を直し、身体的に万全の状態になったら、屋根に上がって瓦を修理する事にします。


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地震後 近況2

2011-04-13 20:40:16 | 東日本大震災・地震関連

あの大震災から1ヶ月目の4/11(月)、地震発生時刻の黙祷を促すサイレンが鳴り響き、「ああ、もう一カ月経ったのか」と思ったまさにその日の夕方5時過ぎ頃、私の住む福島県浜通りに直下型の大余震が襲いました。(震度5強?)

直後に停電

ちょうど落ち着いてきて気の緩んできた頃、冷や水をぶっかけるような地震。

休業最後の日だったので家に居たのですが、あまりに揺れが大きく、家屋倒壊の危険を感じたため、すぐさま息子と義姉に屋外退避を指令!

車庫のエクシーガがグワングワン左右に揺れている!

大きな余震が断続的に起こり、その度にあちこちでモノが割れる様な音が。また雨も降っていたので「マジかよ~、勘弁してくれ」との想い。

今回は屋根瓦が数枚落ちました。前回の大地震の時は大丈夫だったのですが、その時のストレスがあったのでしょう。

断水になるのでは、との恐れがあり、すぐにタンクや風呂に水を汲む。

息子と義姉をエクシーガ内に乗せて道路わきまで移動し、カーTVを見させている間、私は雨の中、先日購入したばかりのジャングルハットと軍用ポンチョを纏い、外まわりの点検をしながらラジオを聴く。

「また原発の冷却機能が失われるのでは・・・海沿いの親戚に津波が襲ってこないだろうか・・・」

色んな事が頭の中でグルグルします。

腰痛が完治してないのに痛みを感じません。アドレナリンが分泌され、戦闘モードです。

「落ち着け・・・自分」と思いながらタバコを一服。

雨は止まず、明かりも点かず、40分くらい経ったでしょうか、ふいに電気が復旧しました。

室内は案の定、また色んなものが落ちてきて無茶苦茶。

特に私の部屋は本やらTVやら、雪崩状態で布団の上に散乱しており、寝ていたら確実に怪我をする状況でした。

しかも翌日。

更に大きい震度6弱の直下型が襲いました。

会社で仕事中でしたが、つんのめって倒れそうなくらい揺れました。ああ、家は倒れないでくれよ・・・

今回は、茶の間の32インチのブラウン管のTVが落ち、瓦がまた数枚落ちました。

010

私の部屋はまたも無茶苦茶・・・家具の配置を再考しなければならないでしょう。

この余震の影響で、一部地域でまた断水です。

スタンドもまた混み始めました。水汲みにはクルマが必要なのと、前回の燃料不足に皆懲りてるんでしょう。

毎日強い余震が来るので、何もない時でさえ、揺れているような錯覚を起こします。

「寝てるときに揺れないでくれよ・・・」と想いつつ床についても寝られたもんじゃありません。

私はもともと睡眠障害があり、結構強い睡眠薬を複数、常用しているのですが、効きません。危険を感じてますから尚更。

この連日の大きな揺れによって生き埋めになった人もいるというのに、TVでは大きく取り上げられず、相変わらず原子力安全保安院の会見など。

原発事故の評価がレベル7に引き上げられた今、もう多少の大地震などニュースにならんのでしょう。

土日の休みには瓦の補修と燃料補給をしよう。

長期戦になりそうなので、やることをやっておかないと。

戦時下のような毎日ですが、命さえあれば、家族が無事なら、乗り越えられるだろう。

(※最近写真が無いのは精神的な余裕がないせいもあります)


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