ホーエンシュタウフェン

生きるために食え、食うために生きるな。

アフガンにも現れているUAP

2021-09-07 19:21:27 | UFOの研究(信憑性が高いもの)

私はたまにネット動画でシリア内戦やアフガン戦争など、進行形の戦争の映像を観る事があるのですが、たまたま

「FUNKER530 - Veteran Community & Combat Footage」

という、米軍のアフガン派遣軍の歩兵が撮影した戦場映像のチャンネルを観ていて、面白い映像を発見しました。

UFO(未確認飛行物体)です。

今風に言うとUAP(未確認航空現象)です。

トランプ政権末期に、突如置き土産として「UFOに関する情報を開示する」として、主に海軍が撮影したUAPの映像をニュースで観た人も多いと思うのですが、これは実際に存在し、航空機の運用上の危険因子・国家安全保障上の危険因子になるからである事は勿論の事、実際にパイロットの多くが目撃し、ニアミスなどの危険な報告もあるからです。

しかし、「UFOを見た」と言っても信じてくれる人はいないどころか、地上勤務にまわされる発言になってしまいます。

しかし、「実際に見たものは、事実としてしっかり報告するように」という風に方針を変える事で、目撃者(主に軍人)が気兼ねなく報告が出来るようにしようという流れになってきています。

さて、問題の「アフガニスタンのUAP」の映像がこれです。全く理解不能で正体の見当すら付きません。↓

白黒映像で昼間の様に見えますが、これはサーマル・イメージャーなどの暗視装置を使っているからで、画面右下に時計があるように夜の映像です。

温度の低いところは白っぽく・温度の高いところは黒く映っています。

物体の下部から何かをポロポロ落としていますが、昔からUFO目撃事例の中には複数ある現象で、目撃者によると「金属片の様なもの」を落としながら飛行する物体の典型例と言えますが、実写として見るのは私も初めてです。

また、途中でミサイルの様なものが当たるシーンがありますが、何事もなかったように浮かんだままです。

綺麗な編隊を組んで浮遊している事から、自然現象とも思えませんし人間の作ったものとも思えません。

不気味としか言いようがありませんね。

こういったものの目撃例が軍の中でもひじょうに多かった事から、アメリカ国防総省(ペンタゴン)では税金を使って正体を探るワーキンググループをつくっていた様です。

皆さんは、正体が何だとお考えですか?

その他、米軍で公式に認められているUAPの映像を貼り付けておきますので御覧ください。

USSオマハ(軽巡洋艦)の周囲を取り囲む様がレーダーに捕捉され、海面から海中に飛び込むUAP

 

早い段階でリークされ、その後海軍が「実写である」と追認したUAPと、その後新たに出てきた映像

 

道路を走る車のヘッドライトがカメラに反射して映った可能性もあるが、未確認の光体

(UFOは核施設上空における目撃情報が多い事は確か)

 

最近また出現した、偏西風に乗ってアジア某国から飛来したと思われるなんらかの気球

 

正体は何なのだろうか?


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最初の接触者(レンデルシャムの森-1)

2012-07-18 19:46:16 | UFOの研究(信憑性が高いもの)


ここまで事件の概要の話が続いたので、個々の「UFO」接触者に関しての情報を見ていこう。

一番最初に謎の物体を見たのは、イギリスにあるウッドブリッジ空軍基地(駐留米軍)の警備兵だ。

今回これから紹介する状況は、ホルト中佐の報告書の第1番目に書かれている事の詳細である。

その前に、もう一度ホルトメモの第1章を見てみよう。

1.

1980年12月27日早朝(午前3時頃)、アメリカ空軍の警備兵二人がウッドブリッジ空軍基地の裏門の外に、異常な光をいくつか目撃した。

航空機の墜落か不時着と思った二人は、調査のため裏門を出る許可を求めた。

当直の司令官は、三名の警備兵に徒歩で偵察に向かうことを許した。

彼らは、森のなかで奇妙な光体を一つ見たと報告してきた。表面は金属のようで、形は三角形、直径は二~三メートル、高さは約二メートル。

森全体を白い光線で照らしていた。上端は赤く、下端は青く光っていた。その物体は浮かんだり、着陸脚で立っていたりした。

接近してみると、物体は樹木のあいだを進路変更して姿を消した。

同時刻に近くの農家の家畜が何頭も狂乱状態になった。

物体は約一時間後に裏門近くで目撃された。

この報告書のくだりはひじょうに簡潔な文面となっており、詳細が判らない。

しかし、退役した当時の警備兵たちが徐々に口を開いており、この時の状況がどのようなものであったのかが、近年明らかになってきた。

アメリカのドキュメンタリー専門チャンネル、「ヒストリーチャンネル」では、これらの将兵に聞き取りを行い、「イギリスのロズウェル事件」として番組で紹介している。

以下、事件の詳細・証言はその番組からの抜粋であることをあらかじめことわっておく。

二人の証言が真実なのかどうかは、当事者二人にしか判らない事である。

真実なのであれば、二人が見たものを合理的に説明出来る人間はいないであろう。

事件が公文書で報告されている以上、事件当夜「何か」が起こったのは間違いのないところではあるが、また、他の天体からの訪問者が来る確率が、この宇宙という想像も出来ないようなスケールから考えた場合、限りなくゼロに近い事を考えると、まったく理解に苦しむのである。

この事件に関しては、様々な否定論が出た。

人工衛星の墜落・・・灯台の見間違い・・・流れ星・・・

それらがこの状況にあてはまるか、考えてほしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Tmreastgate
深夜、ジャック・バローズは底冷えのする基地東ゲートで警備の任にあたっていた。

そこへ、上官のスティーブンス軍曹がピックアップトラックでやってきた。

「ちょっとその辺を走ろうぜ」。

バローズはピックアップに乗り込み、退屈しのぎに丁度良い、と思った。

車は走りだした。

東ゲートからの道は、森の中を通る。

しばらくすると突然、茂みの方を見て「何だあれは?」とスティーブンスが言った。

バローズが目をやると、怪しい光が森に降下してゆくのが見えた。

Rendleshamforestufo

嫌な予感がした。

クリスマスのイルミネーションのように、様々な色が点滅していたのだ。

二人は急いで東ゲートへ戻ると、飛行指令室に電話をかけた。

無線では大勢に聴かれてしまう危険があるので、バローズはCSC(中央保安指令部)に電話を転送するよう、依頼したという。

当日の当直士官は、ペニストン軍曹(当時26歳)を現場に急行させた。

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ペニストンは軍歴7年の野戦憲兵(MP)である。

ペニストンは、当夜の状況をこう証言した。

「問題が起きたので、東門に行くよう、命じられました。どんな問題か質すと、それは現場の警備兵が説明すると言われました。緊急ですか、と聞くと、今すぐ行けと言われました。」

ペニストンは数分で東ゲートに到着すると、バローズとスティーブンスは後方の森を指差した。

「200~300m先の森の中に、黄色や赤などが混じった光が見えたので、すぐに航空機が墜落したのだと思いました。それは、チタンや燃料が燃えるときの色とよく似ていたのです。」

中央保安指令部に状況を報告したペニストンは、上官の指示を待った。

「航空機の墜落なら、救助に向かい、周辺を警備するよう命じられました。」

ペニストンは憲兵の職務として、スティーブンス軍曹から話を聞いた。

「墜落する音が聞こえたか、と聞くと、墜落ではなく着陸したというのです。」

あまりに恐ろしいものを見た恐怖から、スティーブンス軍曹は自分の持ち場に逃げ帰ってしまった。

そのため、その「着陸現場」には、ペニストンとバローズが行く事になった。

森の中を、クルマで入っていけるところまで行き、途中から徒歩で森に入った。

森に入ってゆくと、トランシーバーに雑音が混じってきた。

Photo

バローズはその時の事をこう話す。

「どんどん森の奥に入ってゆくと益々電波状況が悪くなり、通信が困難になりました。」

突如、ペニストンは異様な空気を感じた。

「以前にも任務遂行中に、何度もこういうアドレナリンが噴き出すような状況に遭遇していましたが、この時の感覚は別格でした。身体全部で何かを感じたのです。」

光に近づくほど、その現場の状況は墜落事故とは異なっていた。

「煙も、破壊の爪痕もありませんでした。ただ、丸い光があったんです。」

バローズは言う。

「開けた場所に到達すると、目がくらむような光が辺りを照らし出していました。」

Uforendleshamforest_2

ペニストンが物体まで3mくらいのところまで来たとき光は弱まったが、彼にはこの物体が何なのか、見当もつかなかった。

「私は合理的にものを考えるタイプの人間なので、納得のゆく回答を探しましたが、ダメでした。」

ペニストンは携帯している軍用のカメラで写真を撮った。

「形状は3角形で、大きさは幅2.7m、高さ2.4mくらいで、機体の前後の区別はつきませんでした。エンジンや操縦席のようなものが無かったからです。また、表面はとてもスベスベしていました。」

ペニストンは、物体の特徴をメモ帳に書き記した。

1980

「『表面の材質・・・不明、国籍・・・不明、着陸装置見当たらず。音はしていないが機能は維持しているようだ』。」

物体に近づくほど、ペニストンの筆跡はグニャグニャに乱れていった。

物体からの作用か、異常に興奮した状態だったためかは判らない。

「どんな種類の飛行物体なのか、まったく判りませんでした。『不明』という言葉を繰り返すだけで、物体が何なのか理解に苦しんでいたのです。」

更に近づき、手を伸ばし触ってみたという。

「材質はガラスのようで、滑らかでした。暖かく感じましたが熱いわけではなく、熱源は物体の中から出ているようでした。」

ふと、ペニストンは物体の表面に奇妙なシンボルが描かれている事に気づき、これもノートに記録した。

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「何かの記号のようでしたが、数字とも文字とも違いました。全部で6つほど、横幅90cm程度の範囲に描かれていたのですが、専門家ではないのでよく判りません。」

その時、ふいに物体から強い閃光が発せられ、ふたりは物陰に身を隠した。

バローズは言う。

「謎の物体はスーッと宙に浮くと、木々の上まで上昇していきました。」

ペニストンもこの状況を見ていた。

Colhaltandrendleshamforestinterview

「そこから浮き上がって飛び去った時のスピードといったら、正に瞬きした瞬間に消えたも同然でした。あれほど早い航空機を見た事はありませんし、これからも無いでしょう。」

ゆっくり立ち上がった二人は、別の光にギョッとした。

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最初は、例の物体かと思ったが、すぐに8km先にあるオーフォードネス灯台の灯りである事に気付いた。

無線機が正常な状態に戻っていた。

時間は5:00。謎の光を見てから2時間が経過していた。

無線で中央保安指令部に状況を報告すると、東ゲートで警備部隊と合流するよう命じられた。

バローズは、今見てきた事をどう説明すればよいのか戸惑っていた。

二人は本部に出頭したが、ペニストンは包み隠さず報告する事に躊躇した。

「ありのままを話すのは賢明ではないと思いました。そこで、バローズと共に当直士官のもとへ行くと、昨夜の出来事について当たり障りのない報告をしたのです。」

それでも当直士官は、二人に露骨な警告を発したという。

「諸君。プロジェクト・ブルーブックは1969年に終了している。あまり事を荒立てないように・・・!いいな!」

(続く)


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イギリス政府がUFOを真剣に調査

2012-07-14 17:21:08 | UFOの研究(信憑性が高いもの)

現在このブログでは、イギリス・サフォーク州のレンデルシャムの森で起こったUFO事件を取り上げていますが、そんな中、タイムリーなニュースが飛び込んできました。

「イギリス公文書館は12日、未確認飛行物体(UFO)に関するイギリス政府の調査記録を公開した。

 

政府担当者が偵察や調査、観光を目的に飛来している可能性を指摘するなど、同政府がUFO問題に真剣に取り組んでいた事実が垣間見える。

 

資料は国内のUFO証言を中心に、約6700ページに及び、国防省には「UFOデスク」と呼ばれる担当者がいたことも明らかにした。

 

1995年の資料によれば、担当者はUFOが存在する確かな証拠は見つかっていない

 

とする一方、UFO目撃がもし本物であれば、

①軍事的偵察

②科学的調査

③観光

などが目的として考えられると分析。

ブレア政権当時、首相に報告されたものもあった。」

(参照元:日本経済新聞)

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と、いう事で、UFOについて何らかの調査を行っていた事は確かで、その中にはレンデルシャムの事件も含まれていると思われますが、今のところ証拠は無いとの事。

だったら「証拠ではない証拠」があるはずなんだから、それも公開しろ!

と思うのですが、今のところこの速報だけで、詳細は不明です。

何年か前にもこういう事があって、「そんなものは無い」と言い張っていたホルト中佐の報告書が出てきたり、ちょっとイギリス政府は信用できません。

イギリスは歴史的に高度な諜報戦を得意としていますので、「そんなもの知りません」という態度をとっている時は怪しいと思わざるをえません。

しかし6700ページもの資料、しっかり税金を使って調査はしてるんですね~。

イギリス人は、紅茶と同じ位、オカルトが大好きな国民なんですよ~。


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ラリー・ウォーレン受難(Rendlesham Forest UFO case-9)

2012-07-06 19:42:14 | UFOの研究(信憑性が高いもの)

 彼(ラリー・ウォーレン)の有力な証言に力を得たUFO研究家たちは、情報公開法をたてに、83年6月、ついに事件発生を裏付ける資料の一部公開に成功した。

それこそが、軍の発表した事件の唯一の手がかりである、基地副司令官、チャールズ・ホルト中佐の報告書だった。


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「80年12月27日の早朝。午前3時頃、パトロール中のアメリカ空軍警備兵二名がウッドブリッジ基地の裏門の外に異常な光をみとめた……」
 そんな書きだしで始まるホルト報告書は、不完全ながらも、謎の飛行体が多くの兵士によって目撃された事実や、飛行体が着陸した形跡があることを物語っていた。
 そして、83年10月2日。400万部以上の部数を誇る英国のゴシップ紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』が、UFO着陸事件をトップ記事に取り上げた。

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「サフォーク州にUFO着陸! しかも正式に承認!」
 そんな見出しとともに、目撃者アート・ウォーレス(ウォーレン)が描いたUFOの絵や、ホルト報告書、さらには当時の基地司令官ゴードン・ウィリアムスへのインタビューなどが一面で紹介された。
ホルト中佐は報告書へのコメントをこんなふうに拒否した。

『非常にデリケートな問題だ。もし報告書について何か発言したら、キミは将来を棒にふってしまうとはっきり言われた』。

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方、ゴードン・ウィリアムス米空軍准将は語る。

『ホルト中佐の報告書のことは覚えている。

何が起こったのかは っきりわからないが、すべて報告書にある通りだ。

彼は国防省や空軍に嘘の報告をするような人間ではない』。」
 この記事に、雑誌、ラジオ、テレビなどのメディアが追随し、当時の英国はUFO着陸事件の話題でもちきりになった。

それに合わせて、唯一の証人として表に登場したウォーレンも脚光を浴び始める。ニュースの余波はアメリカや日本にまで及んだ。

アメリカの科学誌『オムニ』は事件を特集し、その中で核搭載機の墜落説を強調した。しかしその後、先のCNNの特番は、いままでの核搭載機墜落事件とは経緯が明らかに異なっていることから、それを否定した。
 そして84年には、ウォーレン自身がテレビ出演のために来日も果たしている。

(管理人注:矢追純一の番組「第4の遭遇 第2弾」)

そのとき、ホルト報告書を前に、彼は次のように主張している。
「(ホルト中佐の録音テープを聴き終え)これは事実の一部しか伝えていない。もっと大きな事件が起こっていたのに、小さな事件としてすりかえようとしている」

 そして、彼は、なんと現場で子供のように小さな生き物を3体目撃したことや、その生き物たちが、現場に急行した司令官、ゴードン・ウィリアムスと何か意思を通わせあったと証言したのである。
 しかし、その真相は相変わらず謎につつまれたままだった。
 ところが、事件発生から15年間の歳月を経て、ウォーレンとピーター・ロビンスがまとめた著書、『レフト・アット・イースト・ゲート』がアメリカで出版された。

 

そこには、事件のあと、ウォーレンが体験した興味深い出来事が詳しく綴られている。


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 事件の直後、12月29日の朝。UFOを目撃した兵士たちに呼集がかかり、放射線被曝の有無を検査されたあと、一同は「奇妙な光をみた」とするだけの、偽りの証言書にサインさせられた。

その後、当局はUFOと人類との接近遭遇の歴史をまとめたフィルムを上映したあと、それが軍事機密であることを強調。

そして、スーツを着た情報機関のエージェントが2人紹介された。
 彼らは、冷たく笑いながら、一同にむかってこう警告した。
「2、3人くらいは誰かにしゃべるだろうが、それはかまわない。しゃべるやつには、ナマリ弾をくらわせてやる」
 しかし、ウォーレンは、その日の午後に基地内の公衆電話からアメリカの母親に電話をかけ、禁を破ってUFOを目撃した事実を告げてしまった。

その話の途中、突然電話が切れ、トラブルが始まったのである。
午後3時前。

呼び出されて証拠として母親との会話を録音テープで聞かされたあと、機密漏洩をたてに、除隊もしくは300ドルの罰金を払えと選択を迫られた。

入隊したばかりで、まだ軍に残りたかったウォーレンは、そのとき罰金を支払うことを選んでいる。

そんな彼は、事件を忘れようと試みたが、しかし、すでに軍はまったく別の顔をみせはじめていた。
 まもなく、OSI(特別捜査局)のビル内でデスクワークに配置替えになり、だれかの監視の眼がたえず注がれるようになった。

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やがて軍への不信感をいだき、次第に反抗的になっていったウォーレンは、基地の地下にある秘密施設の存在を裏付けるファイルを読んでいるところを見つかった。

こうして当局にすっかりマークされた彼に、ある日、友人が打ち明けた。
「気をつけろ。OSIのヤツらがお前をハメようとしてるぞ!」
 OSIは、その友人に頼んでウォーレンの部屋に麻薬を隠し置き、麻薬不法所持罪でウォーレンを空軍から除籍しようとたくらんでいたというのだ。

かくして当局の圧力を受け続けた彼は、軍の弁護士に除隊を勧められたこともあって、81年5月16日付けで名誉除隊となり、ついに空軍を去った。
 除隊後、ウォーレンはアメリカに戻って職を転々としながら、生活のために再び軍に入隊しようと何度も試みている。

しかし、そのたびに拒否された。

地元の下院議員を通じて申し込んだがやはり拒否された。

ところが、しばらくして軍から奇妙な手紙が届いたのである。
 そこには、81年9月17日付で、彼が永久に入隊資格を失っていることや、その理由は、彼が「右腕を水平に伸ばせない」からであることが、はっきりと書かれていた。

しかし、そんな事実は存在しない。

何者かが、事実を捏造し、彼に圧力をかけていることは明らかだった。
 その後、80年代半ばに事件の証人として頻繁にマスコミに登場したウォーレンは、87年にピーター・ロビンスと出会い、2人で事件に関する本を書く準備を本格的にはじめている。
その秋。

アメリカのテレビ局が、大佐に昇進してベルギーの基地に配属されていたチャールズ・ホルト元基地副司令官のコメントをついに入手した。

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このとき、ホルトは、報告書に記述された事件の発生を認めたが、証拠物や記録の存在を否定し、さらに、ゴードン・ウィリアムス大佐が事件にかかわったことも強く否定している。
 しかし、92年6月。ロビンスはすでに退役したホルトから電話で注目すべき発言を引き出すことに成功した。

ホルトが「実に奇妙な出来事が起こったのさ」と、事件の発生を認めたのだ。

しかしウォーレンの発言には否定的であった。
 さらに8月26日には、今度はウォーレンも参加して、2度目の電話インタビューを行なったのだが、その時ホルトはこう謎めいた言葉を残した。
「断わっておくが、この会話はみんな傍聴されているよ……」
 盗聴をきらったウォーレンらは翌93年2月16日、とうとうホルトとの直接会談を実現させた。
「実はね、事件の日誌が私の知っているある場所に保管されている」
 そんなふうに打ち明けたホルトは、94年に、別のインタビューに答えて、ついにこんな爆弾発言までしているのだ。
「はじめはUFOなど信じていなかった。しかし、今では、自分たちはこの地球上のどこかの国が作ったのではない、われわれの想像をはるかに超えたものを見たのだと確信しているよ」

 しかし、ホルトの態度が軟化するのとは裏腹に、国家はウォーレンへの圧力を強めていった。

94年9月16日、彼は再び英国へ渡るために、パスポートを更新しようとしたのだが、なんとそれが国から認められなかったのだ。

 彼は「外国で一般大衆にむかって国家防衛の機密にかかわることがらを語った」として、なんと1947年に成立した国家安全保障法違反を問われてしまったのである。
 ここにきて、この特殊な法律を自由に利用できる組織、つまりNSA(米国国家安全保障局)の介入が明らかになったのだ。
 当然ながら、それを不服とするウォーレンとロビンスは、一計を案じ、ケネディ時代に司法長官を歴任したラムゼイ・クラークに直訴。

クラークの圧力によって、パスポートはただちに再発行されている。
 さらにその頃、ウォーレンは退行催眠を受けているのだが、それによって、事件のあと彼は何者かに拉致され、地下の秘密基地とおぼしき場所に連行されていたことが判明した。

そのとき彼を拉致したのも、やはりNSAのエージェントだったのだろうか? そ れにしても彼らNSAとはいったい何者なのだろう?
 52年11月4日に発足したNSAは、やがて国民や議会からほとんど独立し、「アメリカの安全保障のため」に隠然たる影響力をふるいはじめる。

設立当初もマスコミや政府の公的資料に決して現われず、1万人とも言われる局員たちが密かに仕事を開始したらしい。

その活動の実態は、徹底した秘密主義によって現在もベールに隠されたままだ。そのため、NSAとは、「No Such Agency」(ありもしない機関)の略だ、と皮肉るものもいる。
 このNSAが、UFO着陸事件の証拠を隠滅させようと謀っていると見えるのはなぜだろうか? 

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彼らがそこまでUFOにこだわる理由は何だろう?

 先ごろ、元英国国防省UFO担当室書記官長ニック・ポウプが本誌で語ったように、やはりアメリカはUFOを回収しているのではないか。
 もし、その通りならば、「はるかに進んだ地球外のテクノロジーをアメリカが国家機密として独占し、機密が漏洩して世界に拡散した核の二の舞いになることを防ぎ、世界戦略を有利に展開する。

そのためにUFOの出現するところには必ずNSAの影がある」、そんな説明が可能になる。
 しかし、別の可能性もあるだろう。
 たとえば、事件発生当時、折しもポーランド国境付近でソ連軍の動きが活発化し、警戒体制に入った基地は、異常な緊張につつまれていた。

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ひょっとすると、80年代にミグ戦闘機の亡命が話題を呼んだように、ソビエトからUFOのごとき新型の航空機が飛来して亡命をはかり、当時緊張関係にあった米ソ間で裏取り引きがなされたのかもしれない。

いずれにせよ、事件は依然として謎に満ちている。

※月刊『ボーダーランド』97年9月号より抜粋


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謎の光体は人工物なのか(Rendlesham Forest UFO case -8)

2012-07-04 19:09:56 | UFOの研究(信憑性が高いもの)

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今回は、ホルト中佐以外で、この事件に関わった人間についてみてみよう。

事件では多数の兵士が謎の光体を目撃していたため、その方面からの情報の流出がポツポツと出始めた。

「20人もの武装した警備兵たちが、持ち場を離れて一斉に逃げ出してしまったんだ。しかも彼らは核兵器を格納した兵器庫を守る任務にあたっていた警備兵たちだ。それなのに何もしないで逃げたとは、いったいどういうことなんだ?」

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UFOにビーム照射を受けていた核兵器貯蔵用といわれているバンカー

「恐怖につかれた?」
「ちがう、ちがう、武器を持っていたんだ。武器がなければ怖くて逃亡するのもわかる。しかし兵士たちは自動小銃を構えていたんだ。そいつを射てばいいだろ?

 

(管理人注:弾倉を抜いて森に入るよう命令されていた) 

 

武装した兵士たちが、恐怖に髪逆立てて、スタコラ逃げ出したとでもいうのかい? もしそんなことが可能なら、そいつはテロリストにもってこいの手段にはなるがね……」



 1980年12月26日の未明から29日未明にかけて、英国サフォーク州のNATO軍基地付近でUFO着陸事件が発生した。

昨年、アメリカでその事件を15年にわたって追跡した490ページにも及ぶ大書、『レフト・アット・イースト・ゲート』が発行された。

著者は事件当時その現場に派遣された元空軍警備兵、ラリー・ウォーレンとUFO研究家のピーター・ロビンス。

冒頭で彼らの質問に対して、いらだちを込めて語っているのは、元CNNの敏腕レポーター、チャック・デカロ。

その豊富な軍事知識を買われて、現在は米軍のコンサルタントをしている人物である。
 84年、CNNは、その事件の真相を究明するドキュメンタリー番組を制作した。

責任者のデカロは、「UFO」という結論に飛びつくことを極力さけて、軍関係者や民間の目撃者たちにあたり、いったい何が起こったのか、事実をつきとめるためにあらゆる可能性をさぐった。

新型兵器のテスト、核にまつわる事故の隠蔽工作……。
 しかし、彼の豊富な軍事知識や旺盛なる取材力をもってしても、「なぜ、武装した兵士たちが武器を使わずに一斉に逃げ出したのか」、という疑問には、明快な解答が得られなかった。
 ところが、事件をつぶさに目撃したと証言しているラリー・ウォーレンは、そのときの状況をこんなふうに描写している。

「私たちは、霧のように霞んだベールにつつまれた、黄緑色にボーッと光る謎の物体を遠巻きにしていた。それから、特殊訓練を受けた2人の兵士が、黄色いガイガー・カウンターを手に持って、恐る恐る、反時計まわりに近づいていったんだ。
 そのときだれかの声が響いた。
「きた、きた、ヤツらがきたぞ!」

Rendlesham_forest_1
 見上げると、ちょうど北海方面の空に、ぽつんと小さな赤い光があった。その光が、グングンと近づいてきたんだ。ものすごいスピードでね……。
 その光の球は、私たちが取り囲んでいた発光体の真上6メートルほどの高さに静止した。バスケットボールくらいの大きさで、赤いような、見たこともない色だった。
 よく見ておこうと、私が眼を凝らしたその瞬間、それは閃光を放って爆発し、光のかけらが霧の中に飛び散った。兵士たちは一目散に木立ちに逃れたが、私は一歩も動けなかった……」
 爆発のあと、消滅した霧の中から、謎の機体が姿を現わした。

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「目の前に、突然巨大なピラミッド型の物体が出現した。

 

ピラミッドの頂点で、爆発した光の球と同じ赤い光が輝いていた。本体は虹色に光るパールホワイト。しかし、ねじれたりゆがんだりして、物体の形をはっきりとらえることができなかった。その物体の基底部には鮮明に光るコバルトブルーの光源が並び、その下に黒く見えたのは着陸装置のようだ。箱や、パイプや、奇妙なコードのようなものが、機体をびっしりと覆っていた……」
 やはり、兵士たちは恐怖に支配されていたのかも知れない。

 

そう、銃の引き金を引くことすら忘れさせるほど異様な物体の出現に……。
 異変は80年12月25日、クリスマスの夜に始まった。

 

ポルトガル北部からドイツ、そして英国南部に渡って、異常なスピードで飛行中の未確認飛行体が目撃されたのだ。

 

同時に、ワットンにある英国空軍のレーダーも飛行体の動きを捉えていた。

 

ところが、飛行体はサフォーク州のレンデルシャムの森付近にさしかかったところで、突然、レーダーの画面からふっつりと消えた。 

【ウォーレンが語る発光体着陸事件の隠された真相】

 その夜、英国南部一帯で謎の飛行体の目撃者が続出している。

それは、明らかにレーダーが捕捉した謎の飛行体の出現と重なっていたが、27日付けのタイムズ紙は、次の空軍見解を発表しただけだった。
「木曜日(25日)の夜、数百名の人びとが英国各地で目撃した発光体は、流星であるとみてほぼ間違いないだろう」
 一方、この事件に興味をもったUFO研究家たちは、基地の米兵たちを介して驚くべきウワサを耳にした。
「レンデルシャムの森にUFOが不時着、米兵が故障したUFOの修理を手伝った」
 さらに、英国空軍がUFOの動きをレーダーで捉えていた、という情報をつかんだ彼らは、さっそく空軍に情報公開を迫ったが、何もない、という返事だった。
 ところが、事件発生から2年ほどたった83年、事態を決定的に変えてしまう人物が登場したのだ。

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ベントウォーターズ基地の元空軍警備兵、アート・ウォーレス(ラリー・ウォーレンが当時使っていた偽名)と名乗る謎の男が登場し、事件の驚くべき全容を語り始めたのである。
「自分は40人からの兵士たちとともに、着陸したUFOを間近に目撃した。現場では、兵士たちによって写真や映画が撮影されていた……」

※月刊『ボーダーランド』97年9月号より抜粋


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