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ホーエンシュタウフェン

生きるために食え、食うために生きるな。

gooブログでの執筆終了と引っ越しのお知らせ

2025-05-23 17:41:53 | ブログ引っ越し作業

【この記事がgooブログでは最後になります】

このブログを読んでくださった皆様、こちらのgooブログ閉鎖に伴い「はてなブログ」への引っ越しをする事になりました。

このブログは、検索で何かの記事を探している人がよく閲覧するブログである、というのがアクセス解析で分かっているのですが、もし、このブログをお気に入りに登録していて引き続き読みたい!という方がいらっしゃれば、こちらの新しい「はてなブログ」のURLを貼っておきますので、こちらから閲覧ください。

 

クルマ・プラモデル・武道空手のブログ ホーエンシュタウフェン - ホーエンシュタウフェン

 

このページにアクセスする人はたいへん限られていて、あまり読まれる事の無いページなのですが、これが一応私のブログの「HOME」となっていますので、登録する場合はこちらのページを登録してください。

 

【ブログの名称、「ホーエンシュタウフェン」とはそもそも何なのか?】

ブログを書くキッカケとなったのは、2008年GW当時、カネが無くて暇だったという事が一番の動機です。

自分の好きなものを不特定多数の人達と共有したい、という想いも当然ありました。

そして自分のブログの題名を何にしようか、と考えた時に「○○のブログ」「○○の日常」「○○の部屋」「○○単訪記」など、ありきたりで圧倒的多数のブログの中で埋没してしまう様な題名は絶対に避けたい、というのがありました。

当時の私は戦車模型造りにドップリ浸かっており、その影響で資料になる本を沢山読んでいました。

それは、「模型」というものを突き詰めていくと、それは「実物」を「模した」正確性を求める習性がつくからです(これを「考証」と言います)。

戦車は陸戦の王者ですが、中でも群を抜いて強い戦車を輩出していたのがドイツです。

知らない人も中には居ると思いますが、第二次世界大戦(大東亜戦争もこれに含まれます)を引き起こしたのはアドルフ・ヒトラー率いる「ナチス・ドイツ」です。

ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)ドイツには当然国軍(こくぐん)がおり、通称「ドイツ国防軍」と呼ばれていました。

しかしナチスドイツには「軍隊とは別の軍隊」がありました。

それが「武装親衛隊」と呼ばれるものです。(通称「SS」=シュッツ・シュタッフェン)

元々、ある特定の個人を崇拝し、その警護をする者を「親衛隊」と呼ぶ事があります。

国軍の中にはナチスが政権を取った事に対して良く思わない将官クラスも存在します。

ヒトラーやナチスを嫌っているのであれば、国軍はヒトラーの命令を聞かない可能性が常にあったため、ヒトラーの命令で確実に動く別の軍隊が必要となります。

親衛隊は国防軍がやらない様な事~つまりヒトラーの警護や敵対勢力の殲滅、強制収容所の看守などです。

親衛隊員は戦場で戦う任務を負っていませんが、国防軍との軋轢のためヒトラーは自分の軍隊を作る事にしました。

それが、親衛隊員に武器を持たせ野戦部隊として構成された「武装親衛隊(Waffen-SS)」です。

後に状況が段々と変わっていくのですが、武装親衛隊は一種のエリート部隊であり、強力な兵器も国軍より優先して与えられました。

(ちなみに、迷彩服を世界で初めて採用したのが武装親衛隊で、古い戦場写真では戦闘服が迷彩か否かでSSと国防軍の違いが分かります)

「武装親衛隊は一種のエリート部隊」と書きましたが、そのため部隊ごとに誇りを持った名称がついているのが特徴でした。

 

・ライプシュタンダルテSS/アドルフ・ヒトラー

・トーテンコプフ

・ダス・ライヒ

・グロスドイッチュラント

・ヴィーキング

・ノルトラント

・プリンツオイゲン

(凄く多いので中略)

・ホーエンシュタウフェン

 

私は当時、SSの歴史に興味を持ってSSに関する書籍をいつも読んでいました。

そして、「ブログの題名は武装親衛隊の名前から拝借しよう」となった訳です。深い意味は無く、響きの良さとか、意外性、誰も聞いた事が無い様な単語、を求めていたからです。

 

「ホーエンシュタウフェン」というのは王朝の名称であり、ウィキペディアによると

 

「ホーエンシュタウフェン朝(Hohenstaufen, 1138年 - 1208年1215年 - 1254年)は、神聖ローマ帝国王朝シュタウフェン朝およびシュタウファー朝とも呼ばれる。シュヴァーベン大公でもあった。家名はシュヴァーベンのシュタウフェン城を発祥とする。イタリアではシチリア王国を支配し、1266年まで続いた。」

 

とあります。

武装親衛隊の方の「ホーエンシュタウフェン(別名第9SS装甲師団)」は、こちらもウィキペディアによると

 

「第9SS装甲師団『ホーエンシュタウフェン』(だいきゅうSSそうこうしだん、独: 9. SS-Panzer-Division Hohenstaufen)は、武装親衛隊の38個ある師団のひとつ。名称の由来は神聖ローマ帝国王朝の一つホーエンシュタウフェン朝、とりわけ第6回十字軍を率いて聖地イェルサレムを獲得したフリードリヒ2世11941250年)から付けられた。」

(中略)

1944年3月、東部戦線ではソビエト赤軍の大反攻によって西部ウクライナ南方軍集団が危機的状況に立たされていた。24日、第IISS装甲軍団は東部戦戦への移動命令を受けフランスから移動を開始。編成未完の第9SS戦車連隊第1大隊はマイイ・ル・カンに残された。カメネツ=ポドリスキー包囲された第1装甲軍の救出の為、第IISS装甲軍団は第4装甲軍の指揮下に入る。

4月2日レンベルクに師団先遣隊が、4日には全部隊が到着しさらに南東約60kmのロハトィン(Rohatyn)北の集結地へ前進。春の雨によって発生した泥濘は移動を困難にし師団主力が攻撃態勢を整えるのは8日までかかった。一方で5日に第19SS連隊第1大隊のみが第IISS装甲軍団に配属された第367歩兵師団の指揮下で師団史上最初の実戦を経験する。

(中略)

その後は周辺の部隊等を吸収して第6装甲軍に所属し、ラインの守り作戦では第6SS装甲軍の麾下部隊として第1SS装甲師団アドルフ・ヒトラー及び第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントの後方に拘置され、作戦開始5日目に前線へ投入されたが突破は失敗に終わり、その後ウーファリーズ周辺で大損害を受けた。 その後、1945年3月には損害の回復が行えないまま春の目覚め作戦で再び東部戦線へ投入され、実質的に壊滅した。残存部隊は戦闘団として後退を続け、オーストリアリンツで米軍に降伏した。」

 

という事です。

これが私のブログの題名となった「ホーエンシュタウフェン」の由来です。

 

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さてブログの名称の由来の話で長くなってしまいました。(長文になるのが私の欠点です)

「はてなブログ」でまた会いましょう。

今までご愛顧くださりありがとうございました。

「こんなもん、つぶやきで良いんじゃねぇのか」という短文のブログも多いです。ただ、私はその時の勢い・直感で動く時もありますが基本的に文章を書くのが好きな人間です。

未熟者ですがこれからもよろしく御願い申し上げます。

 

(了)

コメント
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