神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

西武池袋線

2019-03-28 06:53:58 | 谷端川・小石川1

 谷端川は椎名町駅の西側で、西武池袋線を越えます。同線の開業は大正4年(1915年)で、武蔵野鉄道武蔵野線と呼ばれ、まず池袋・飯能間が開通しました。開業当時は池袋駅の次は東長崎駅でしたが、市街地化に伴い大正13年に椎名町駅が開業しています。なお、椎名町は「新編武蔵風土記稿」にも収録された小名ですが、椎名町駅からはやや離れた清戸道(目白通り)沿いにありました。それが駅名に採用され、さらに昭和14年(1939年)には町名ともなりましたが、現行の住居表示からは失われました。

 

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    ・ 西武池袋線  椎名町駅西側の踏切で、西武池袋線を越えます。ここに踏切ができたのは、区画整理に伴い谷端川を直線的に改修し、道路を並行して敷設した時です。

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    ・ 西武池袋線  椎名町駅から東長崎駅方向です。旧長崎村の西に位置するにも関わらず、東長崎駅となったのは、九州の長崎に対して、東京の長崎の意だといわれています。 

 → 「段彩陰影図」を見ると分かりますが、上掲写真に写る椎名町・東長崎駅の直線区間は、西から谷端川に合流する谷筋に沿って敷設されました。この谷筋にかかわる水路については、「郵便地図」が詳細に描いていて、武蔵野線開通後の第二版(大正14年)は、線路の南側から発し、長崎小学校前で北側にシフト、そのまま上掲写真の右手を数百メートルにわたって並行しています。ただ、その後の水路を描いた地図類は未見で、線路周辺にそれらしい痕跡も発見できません。あるいは耕地整理以降は、線路脇の側溝がその機能を代替したのかもしれません。

 

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    ・ 南長崎公園前  南長崎公園の南西角にある交差点のあたりが、「郵便地図」の描く水路の先端で、今でも浅い谷筋が見て取れます。