前々回引用した「慶長見聞集」の「江戸の河橋にいわれ有事」は、雉子橋、一ツ橋から大手橋へと向かう平川の推定流路を補強するはずですが、一つ大きな問題があります。同書は雉子橋、一ツ橋と大手橋の間に竹橋を挟んでいて、一本の流れを前提とすると相当不自然な蛇行を考えなければなりません。そこで、ここでは牛ヶ淵、清水堀を経て平川本流へと注ぐ小支流を仮定、竹橋はその流れに架かっていたものとしておきます。
- ・ 竹橋 内堀通り竹橋交差点から、竹橋、紀伊国坂方向のショットです。左手は大手堀、本丸、右手は清水堀、北の丸にあたり、右手のエリアには東京国立近代美術館、国立公文書館、科学技術館などが建ち並んでいます。
なお竹橋の名前の由来については、「竹をあみて渡したる橋有。これをはすのこ橋、竹橋とも名付けたり」(「慶長見聞集」)とする説が一般ですが、「御府内備考」は「又一説に、竹橋は昔在竹橋といへり」と、異説を併記しています。後北条家の家臣、在竹某が近くに居を構えており、在竹橋と呼ばれていたが、のち竹橋と略されるようになったというものです。なお、 → 「別本慶長江戸図」では、田安門下から発する自然河川様の流れが、本丸を囲む堀に合流しており、その根元に橋が架かっています。これが竹橋と思われ、傍らには「御内方通行橋」と記されています。
- ・ 平川堀 紀伊国坂を上って左手のショットで、正面は北桔橋(きたはねばし)門、その奥が本丸です。竹橋、北桔橋のラインが本丸への最短距離にあたり、帯曲輪、深い堀、桔橋と、防御上の工夫が随所に見られます。
- ・ 清水堀 竹橋から上流方向です。正面の高架は都心環状線、その先は左カーブで清水橋は見えません。なお、左手の石垣の上は北の丸で、右手奥200mほどのところには日本橋川に架かる雉子橋があります。