神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

麻布谷町、御箪笥町

2014-11-08 07:02:03 | 城西の堀川3

 黒田家中屋敷の西隣にあるのが麻布谷町、その隣にあるのが御箪笥町で、前々回に引用した「御府内備考」にあるように、今回の大下水は御箪笥町から谷町、そして黒田家中屋敷へと流れていました。ただ、それを描いた地図類は未見なため、正確な流路に関してはよく分かりません。同様にその場所は特定できませんが、、この大下水には鶴ヶ橋という石橋が架かっていました。「石橋 長六尺巾壱丈余 右者町内中通横切下水ニ懸有之鶴ヶ橋と申伝候・・・・石之裏ニ鶴之形彫付有之候ニ付鶴ヶ橋と唱候儀と奉存候」 これは麻布谷町の書上ですが、御箪笥町のところにも「町内大下水え懸渡し候里俗鶴ヶ橋と申候」とあり、両町にまたがって架かっていたものと思われます。

 

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    ・ 南部坂  前回最後の写真の通りと連続する坂で、共に黒田家屋敷と麻布谷町の境となっていました。明暦頃まで、坂上に陸奥盛岡藩南部家の屋敷があったのが名前の由来です。

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    ・ 久国神社前  麻布谷町の鎮守だった久国神社前のこの通りが、同町から御箪笥町にかけてのメインストリートでした。前を横切る通りが両町の境を画しており、ここに鶴ヶ橋が架かっていたのかもしれません。

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    ・ 久国神社  当時は久国稲荷と呼ばれていました。境内に亀の井と称する井戸があったと「御府内備考」は書いています。おそらく鶴ヶ橋と対のネーミングです。

 <今井と麻布>  麻布谷町の起立は元和6年(1620年)、当初は今井谷村と称し、のち今井谷町、さらに麻布谷町となったと「御府内備考」にあります。「東は虎門外、南は西久保、飯倉、龍土、西は青山、北は赤坂溜池」(「新編武蔵風土記稿」)に及んだ旧今井村に由来する町屋は、今井町、今井谷町、今井三谷町、今井寺町、今井台町(のち市兵衛町)など今井を冠していますが、のちに南西隣の惣名である麻布に属することとなり、谷町の場合はシンプルに今井が麻布に代わっただけですが、新たに今井の前に麻布を付ける麻布今井谷町なども出現しました。また、地域からは赤坂に属する今井町は、その由来から麻布が冠されました。