神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

今井三谷町

2014-11-10 07:18:39 | 城西の堀川3

 麻布谷町、御箪笥町は谷筋の左岸沿いにありますが、逆に右岸に食い込む小さな谷((→ 「段彩陰影図」で、六本木通りの南側)周辺に出来たのが今井三谷町です。「当町起立之儀者今井町ニ而申上候元地承応三午年(1654年)中御用地ニ相成当所え引移候後正徳三巳年(1713年)閏五月中町方御支配罷成申候且三谷町と唱候儀者往古此辺南谷北谷中谷と唱候谷合三ヶ所有之候場所え承応三午年中引移候己後三谷町と唱候由申伝候」(「御府内備考」) 今井町など他の今井村由来の町屋と同様、虎ノ門の普請に際し、代替地として当地に移転してきたものです。

 

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    ・ 六本木通り  首都高都心環状線と3号渋谷線が連絡する谷町ジャンクションです。前回の最後にUPした久国神社の南に位置しています。

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    ・ 道源寺坂  中腹にある寺院が由来の坂で、途中谷町ジャンクションで中断されますが、本来は久国神社前からの通りと連続していました。

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    ・ サントリーホール  道源寺坂から三谷町を抜け、霊南坂方面に出る坂が、このあたりを横断していました。「長七間斗弐段ニ相成幅弐間程雁木坂と相唱申候」(「御府内備考」)

 <今井と麻布2>  旧今井村に属する今井町などが麻布に編入された結果、麻布山善福寺周辺(現元麻布)が中心の麻布の範囲は、赤坂溜池と接するまでに拡大しました。「東南は大抵麻布新堀川(現古川)に限りて三田に対し、北は飯倉、赤坂に続き、西は渋谷、青山に境へり」(「御府内備考」) なお、麻布の表記は元禄3年(1690年)頃からで、それまでは小田原衆所領役帳」の阿佐布をはじめ、麻生、浅生、浅府などがあります。地名由来としては表記からは麻の布説ですが、「江戸砂子」はこれを批判しています。「此麻布の説、甚誤也。麻生の地名は能(よく)麻の生る地にて、布の事にはあらず。又浅茅生といひて草の浅々と生る地をいふとも云。これは浅生也。」