神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

熊野神社

2018-03-14 06:29:55 | 神田川4

 神田上水助水堀は熊野神社の東縁を流れ、境内の北東端で滝となって落ちていました。それが、明治25年(1892年)着工の淀橋浄水場建設の際、神社東縁の区画が埋め立てられ、南北に二分されることになります。以下は前回引用の「豊多摩郡誌」の続きです。「現今は浄水場の排水、此の川の南方に入りしを地下に引きて、一は現時の十二社の瀧となり、一は旧玉川上水の廃流に入る、北方の排水は此の助水堀に入りて水車に利用せられ、後神田上水堀に注ぐ。」(→ 「東京近傍図」では描かれている神社脇の水路が、→ 「明治42年測図」で欠落しているのはそのためです。)

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 角筈村熊野十二所権現社」  「世人誤て十二そうといふ 多景にして遊観多し」 

 上の溜井から社殿のある東の台上を見ています。左端は上下の溜井を隔てる堤で、中之島のようになって弁天社が祀られていました。そこから坂を上ると社殿前に出ます。社殿奥の松並木が境内の東縁なので、その裏側を助水堀が流れていたことになります。なお、「世人誤て十二そうといふ」ですが、熊野から十二の神々を勧請した際、一社に祀るいわゆる(十二)相殿としたことから、「社」を「そう」と読み、「相・双・層・叢・荘」などの漢字をあてたとの説もあります。

 

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    ・ 熊野神社  写真奥は境内の北東隅にあたり、稲荷神社が祀られている一角です。助水堀はさらにその奥を流れ、大滝となって落ちていました。 

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    ・ 新宿中央公園ビオトープ  熊野神社境内と連続する細長い区画で、助水堀もこのあたりを流れ、上掲写真裏へと向かっていたものと思われます。