栄橋の次は伏見橋です。かって、小淀山(天狗山とも)一帯、一万千七百余坪が伏見宮邸だったことが由来です。伏見宮邸といえば紀尾井町の井伊家屋敷跡(現在のホテルニューオータニ)があり、こちらは別邸だったようです。伏見宮邸以前には山岡鉄舟の屋敷があり、さらに江戸時代にまでさかのぼると、麹町の豪商加太(かぶと)家の別荘で、成趣(じょうしゅ)園と称されていました。「空中写真」に写る池はこの庭園に由来するようです。成趣園の由来や風景を詠んだ天保11年(1840年)制作の碑文は、中野区の登録有形文化財に指定されていて、その中に「其南引渠水以為池、・・・・池畔置天妃祠」との一節がみられます。
- ・ 「昭和22年米軍撮影空中写真」 池の東側が田用水、さらにその東が小淀東通りです。この付近の左岸流はまだ埋め残されているようにも見えます。
- ・ 神田川 伏見橋から下流方向です。左カーブの先は見通せませんが二百数十メートルで末広橋が架かり、桃園川と合流しています。
- ・ 池畔の道路 先の大戦末期、米軍の空襲で池だけが残されました。その池も昭和20年代末には埋め立てられ、今ではこのくねった道路があるだけです。
- ・ 池畔の道路 奥は鉄舟会禅道場の看板を掲げる高歩(こうほ)院です。高歩は山岡鉄舟の本名で、明治天皇の侍従当時、当地に居を構えていました。