神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

小淀

2018-03-01 06:17:57 | 神田川4

 淀橋から桃園川が合流する末広橋まで、神田川左岸は小淀と呼ばれ、左岸台上は小淀山でした。前回の小淀橋がその由来です。この区間のうち末広橋までの桃園川流域は、大正15年(1926年)に着工された中野町第一土地区画整理事業によって、昭和の初めにはいち早く河川の改修、宅地化が完了しました。一方、神田川の改修は中野区内では最も遅く、昭和10年代まで待たなければなりませんでした。それでも、本流と左岸流の間にあって大正末には開通した道路(現小淀東通り)の周辺は、すでになし崩し的に宅地化されており、結局、土地区画整理事業とはなりませんでした。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正) / 中野」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 淀橋と栄橋の間の左岸で蛇行する道路は、直線化に際し取り残された本流の名残です。

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    2. フェンスで通り抜けできませんが、細長い空間が続いています。

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    3. 迂回した先です。振り返って撮影したのは→ こちらで、2.と連続しているようです。 

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    4. 右カーブのあと右折して終了しますが、すぐ先は直線化された本流です。