小淀を流れる田用水が桃園川に合流するところです。といっても、例によって水路跡と重なる道路はなく、段丘沿いに目星を付けるしかありません。ところで、「中野町誌」(昭和8年)の巻末に収録された「中野の回顧」には、小淀の用水での雨乞いについての記述があります。「話は變るが雨乞も忘れ得ぬものゝ一つだ。盛夏旱魃となると村の百姓は寶仙寺の什物、蛇骨を白木の箱に入れて、小淀の田用水、今は埋立てられた伏見宮邸下を流れる小川の中に入り、素裸で『さんげ、さんげ、六根清浄』と唱え乍ら、白木の箱に水を注いで雨を祈るのが例になってゐた。」
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(大正10年第二回修正) / 中野」 上掲地図と同一場所、同一縮尺です。両河川改修後の→ 「昭和12年第四回修正」はこちらでどうぞ。
- 1. 高歩院の北隣にある段丘下のマンション敷地です。段丘沿いの用水はあと建物二つ分、50mほどで桃園川と合流します。
- 2. 桃園川緑道で、右手からの用水と合流するところです。右写真は合流地点を振り返っての撮影です。
- 3. 桃園川緑道の終点です。末広橋がチラッと見えますが、実際の合流地点はそのやや先です。
- 4. 桃園川の左岸流との連絡水路です。大久保通りを越えた先で連絡していました。