八幡門前に出来た町屋が市ヶ谷八幡町で、寛文3年(1663年)に町奉行所支配になりました。以下の「御府内備考」の引用は、その市ヶ谷八幡町の下水に関するものです。「下水 弐ヶ所 右壱ヶ所は四谷御門外より市谷田町四丁目前通り町内え相掛り候右は四谷辺上水の吐水にて・・・・壱ヶ所大久保辺悪水之落にて尾張様御屋舗前通より町内え相掛り前文大下水に落合申候・・・・各下水幅壱間にて末は田町一丁目に相続江戸川え落入申候」 田町一丁目のところではこれを要約し、「大下水は大久保辺落水並四谷辺上水吐水二口にて八幡町より一口に相成」と書いています。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」 「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載、上掲地図のグレー枠の部分です。
- 1. 左内坂の上り口です。両側に田町一丁目があり、「長九尺弐寸幅三間壱尺」の石橋が架かっていました。
- 2. 亀岡八幡前です。前回の→ 「図会」の左下隅の大下水はこのあたりを流れていました。
- 3. 二つの大下水の合流地点です。まず四谷からのものを追って、左カーブの外堀通りを西に向います。
- 4. 高力坂に差し掛かります。大下水は通りの右手を並行していました。