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亀岡八幡

2019-01-07 06:51:24 | 江戸川・紅葉川

 市谷亀岡八幡宮があるのは、市ヶ谷橋の北の、外堀通りをはさんだ台上です。社伝によると創建は文明年間(1469~87年)、太田道灌が江戸城鎮護のため鎌倉鶴岡八幡を勧請しました。その後の戦乱でさびれていましたが、三代家光や五代綱吉の生母、桂昌院の庇護を得、大いに栄えるようになりました。なお、「南向茶話(追考)」には、「市谷八幡旧地 市谷御門の内、当時大番所の北の方向角、山本氏の屋敷の隅に大木の榎あり。此所元宮殿の跡也。寛永年中遷座の由。今に至り此榎を神木と称、尊敬の由也」とあり、寛永年間(1624~44年)に市ヶ谷門内から門外に移転したようです。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 市谷八幡宮」  「或人の説に市谷昔ハ市の立し地なりし故に市買ひに作りたりといふ・・・・社地に戯台楊弓の類ひありて常に賑はしまた社前の大路ハ四谷への往来にて行人絡繹たり」  

 左下隅に描かれているのが大下水で、これまでと異なり通りの真ん中を縦断しています。「御府内備考」によるとここに板橋が架かっていました。「板橋 弐ヶ所 右者町内八幡表門前大下水水上に掛有之壱ヶ所は幅六尺に弐拾間有之壱ヶ所は幅六尺に拾八間有之尤右者葭簀張水茶屋渡世之者差出申度段寛政五丑年三月十一日町奉行池田筑後守様え奉願候処願之通被仰付候」 さらに石橋も架かっていました。「石橋 弐ヶ所 右者当町大下水に掛有之・・・・明暦年中石垣御手伝御普請の節出来御普請所にて御座候八幡表門前石橋之儀は別当東園寺持にて御座候」 最後の「八幡表門前石橋」は、「図会」の惣門前に描かれているものでしょう。

 

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    ・ 亀岡八幡参道  牛込台に上る急階段上には、文化元年(1804年)建立の銅鳥居があり、新宿区の指定登録文化財になっています。

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    ・ 亀岡八幡社殿  台上にある社殿は、第二次大戦末期の空襲で全焼、昭和37年(1962年)に再建されました。奥には防衛省の通信塔もみえます。