神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

元赤坂町、赤坂伝馬町

2014-09-18 10:18:50 | 城西の堀川2

 寛永19年(1642年)頃とされる→ 「寛永江戸全図」で、紀州家屋敷から外堀(弁慶堀)に向う流れがありますが、その周辺にあった町屋が元赤坂町や表伝馬町、裏伝馬町でした。うち元赤坂町は赤坂内最古の町屋で、後の赤坂御門前にありましたが、寛永14年に代地となった当地に移転してきたものです。一方、表裏の伝馬町は赤坂門や外堀普請の土置場でしたが、寛永13年に南伝馬町の伝馬役三名が、入国以来の功によって当地を拝領しました。これらの町の書上によると、紀州家屋敷から流れ出た大下水は「幅六尺」、元赤坂町、裏伝馬町一丁目、表伝馬町一丁目を通り、田町一丁目へと向かっていました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載、上掲地図のグレー枠の部分です。 

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    1. 赤坂御用地東門前のこの路地から始めます。御用地をめぐる→ 側溝から、この路地に暗渠が通じているのでしょう。

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    2. 東京都下水道局の車止めの付いた路地は、ワンブロック、70mほどで終了です。なお、この左右が元赤坂町でした。

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    3. 紀伊国坂下です。外堀通りの先は弁慶堀で、そこに余水が落ちていたようですが、本流は右折して裏伝馬町一丁目へと向かいます。 

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    4. このあたりが裏伝馬町一丁目でした。 左手の三間土手を隔てて万年石樋の玉川上水が流れ、さらに三間土手を隔てて弁慶堀となっていました。