神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

弁慶堀

2014-09-19 07:14:44 | 城西の堀川2

 「弁慶堀と唱候御堀之儀者幅凡五十間ニ而喰違より赤坂御門際迄凡長三百間余右唱候儀者弁慶小右衛門と申者寛永年中堀割御請負仕候由右ニ付弁慶堀と唱候由申伝ニ御座候」(「御府内備考」) 桜田堀もまた弁慶堀と呼ばれることがあり、それとの区別からでしょうか、「御府内備考」は別の個所で「赤坂弁慶堀」と書いています。ところで、桜田堀を弁慶堀と称する由来として、「江戸砂子」に「弁慶小左衛門の縄はりゆへとも」とありましたが、一字違いのこれら弁慶某が同一人物かどうか定かではありません。いずれにしても、京都の宮大工の出身で、江戸幕府の大工棟梁の一翼を担った弁慶家ゆかりの人物なのでしょう。

 

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    ・ 弁慶堀  起点の喰違見附跡からのショットです。外堀はこの見附を分水界に、右回りの神田川水系と、左回りの汐留川水系に分かれます。 

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    ・ 弁慶堀  赤坂川の余水が弁慶堀に注ぐ、紀伊国坂下からのショットです。弁慶堀は彦根藩井伊家の中屋敷を巡っていて、現在はホテルニューオータニの敷地になっています。

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    ・ 弁慶橋  明治22年(1889年)の創架で、藍染川の埋立により撤去された弁慶橋の廃材を利用した、とのエピソードが残されています。→ 「平川、神田川5 / 弁慶橋」

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    ・ 弁慶橋  紀尾井町通りの左手は井伊家中屋敷跡のホテルニューオータニ。右手の紀州藩上屋敷跡には→ 赤坂プリンスホテルがありましたが、3年前に営業を終了し目下再開発中です。