神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

谷中3

2016-11-10 06:52:56 | 桃園川2

 中山谷下橋で左岸から合流する水路を追っての最後で、たかはら公園から百数十メートル北上した先端部分までです。なお、「杉並の川と橋」(平成21年 杉並区立郷土博物館)は、たかはら公園一帯の通称、「谷」について、「甲武鉄道施設工事用土を掘り出した所があり、その跡地から湧水で池が出来ていたと言われている。その流れを使って缶詰製造が行われていたそうである」と書いています。池に関しては未確認ですが、缶詰工場はたかはら公園のところにあって、昭和初期の地図に描かれています。

 

Yanaka3

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. たかはら公園の西縁にそって水路跡は北上します。なお、同公園は昭和50年(1975年)の開園です。

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    2. 公園から北に80mほどのところで復活しますが、通り抜けはできません。

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    3. ワンブロック回り込んで、最先端を振り返っての撮影です。右写真は西側からのショットで、突き当りが中野区との境です。

 <中野御囲>  五代将軍綱吉の「生類憐みの令」によって、10万頭ともいわれる野犬を収容した中野御囲(中野御用屋敷)ですが、その一部は高円寺村にも及んでいました。元禄10年(1697年)作成の平面図によると、5万坪前後の5つのブロック(御囲)から構成されていますが、中野駅前のサンプラザや区役所一帯が二の御囲、西隣の警察学校跡地(再開発で大学キャンパスになっていて、上掲の最後の写真に写っています)が三の御囲、そしてその西隣の四の御囲は大半が高円寺村に属していました。→ 「東京近傍図」の右上隅で、長方形のブロックが二つ並んでいますが、右側が三の御囲、オレンジ線を跨いでいる方が四の御囲です。さらにその南側で同じくオレンジ線を跨いで五の御囲がありました。→ 「高円寺村絵図」では省略しましたが、「御在宅御屋敷」の右隣りのブロックに、「字御囲跡」と書き込みがあります。元の五の御囲の高円寺側に当たります。