西向天神前の蟹川の流路は、→ 「蟹川全図」に見るように、二つの谷頭からの合流が錯綜していました。それが、今日たどることのできるルートに単純化されたのは、蟹川の河川敷を利用して、大正の初めに都電(当時は市電)13系統の専用軌道が開通、それと並行するように付替えられたためでした。また、宅地化に伴い田用水は順次廃止され、道路と重なる一部を除いて痕跡は失われ、昭和に入ると本線も暗渠化されました。なお、13系統は昭和45年(1970年)に廃止されました。その軌道プラス暗渠は一般道路に転用され、今は文化センター通りと呼ばれています。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(大正5年第一回修正) / 四谷」 上掲地図と同一場所、同一縮尺です。
- 1. 長く途絶えていた本流ですが、抜け弁天通りの先のビルの谷間の路地から再開します。
- 2. すぐ右折して専用軌道跡と並行します。左手から天神下の水路も合流していましたが、重なる道路はありません。
- 3. 左折すると西向天神下に出ます。天神下の流れとの連絡水路がありました。
- 4. 天神小学校前に差し掛かります。右写真の右手は前回の戸山幹線の通りです。