神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

板橋税務署前

2015-09-24 07:43:35 | 千川用水6

 都道420号線から分かれた千川上水の続です。板橋区立グリーンホールから間もなく、右手に板橋税務署が見えてきますが、その前後に上水関係の重要施設が二つありました。一つは税務署のワンブロック手前にあった青山水車(秋山水車)、二つ目はその前にあった洗堰です。まず青山水車ですが、場所と名前以外言及した文献はあまりなく、板橋郷土博物館の企画展「水とくらし 千川上水の三百年」が、「この水車はもとは、少し下流の現在の文豪屋敷付近にあった『喜内古屋水車』が明治30年の段階で当地に移転したものである」と書いているくらいです。ただ、下掲「明治42年測図」から大正10年の「第二回修正」まで、両水車は併存しており、その辺の事情はよく分かりません。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 王子」  中央やや左が青山水車、右端で回し堀と共に描かれているのが喜内古屋水車です。

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    ・ 千川上水跡  グリーンホールから100mほどのところで、この右手付近に青山水車がありました。板橋税務署は次のブロックの同じく右手です。

 もう一つの洗堰は、青山水車の下流に描かれた左岸に向かう水路の分岐点にありました。増水時に溢れた水を排出する、オーバーフロー構造を有するのが洗堰で、何といっても→ 「江戸名所図会 / 目白下大洗堰」にも描かれた、神田上水の関口大洗堰が有名です。「大さ長十間幅七間の内水口八尺余」(「新編武蔵風土記稿」)と、さすがに「大」の付くジャンボサイズです。

 

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    ・ 洗堰跡  右手は板橋税務署の敷地、その前で左手に分岐する道路が「明治42年測図」に描かれた水路と重なりますが、その詳細は次回に続きます。

 もっとも大洗堰と今回のものとでは、サイズだけではなく機能も違っていました。取水のため水位を上げるのが目的の大洗堰と違って、今回の洗堰は「上水の吐」のためのもので、もちろん塵や泥を除く浄化装置でもあるのでしょうが、何といっても、板橋宿という交通の要所を前にして、洪水時の増水を石神井川に落とす、安全装置の意味が大きかったようです。「此樋口平常流水ナシ千川満水ノ時樋口ヲ開キ剰水ヲ此溝ヨリ潟下ス」 明治21年(1888年)に陸軍省が制作した、「板橋火薬製作所」関係の図面(「板橋区史 / 資料編4」)にある書込みで、洗堰の機能を端的に物語っています。