神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

旧養育院前

2015-09-19 06:28:45 | 千川用水6

 大山橋から先に向かいます。商店街を抜けると東武東上線の踏切です。踏切を越えると再び幅広の都道420号線の一部となりますが、それも二百数十メートルの間だけで、健康長寿医療センター(旧養育院)の正門前で右手に離れます。南長崎のV字ターン以降、ほぼ並行してきた同都道とのかかわりはここまでです。なお、大正12年(1923年)に当地に移転してきた養育院は、当時上水の南側に事務所、官舎を設けていたため、昭和6年[1931年)前後の暗渠化までの間、病棟との往来に専用の屋根付き橋を利用していたそうです(「いたばしの河川」)。

 

0126a

    ・ 東武東上線踏切  大山橋から百数十メートル、商店街の間を抜けた先です。踏切を越えると、幅広の都道420号線は左手にズレていて、その南側歩道寄りが千川上水跡にあたります。

0126b

    ・ 健康長寿医療センター前  元の養育院前で420号線から、車止め付きの遊歩道のようになって右手に離れます。その右手は昭和22年(1947年)開校の板橋第一中学校です。

0126b

    ・ グリーンホール前  左手の板橋区立グリ-ンホール(旧産文ホール)前で、遊歩道は終了、その先は一般の道路の一部となります。

 <高水道>  以下は「いたばしの地名」(平成7年 板橋区教育委員会)の引用です。「千川上水と旧川越街道が交差するところが大山橋で、そのすぐ下流付近の大山の一番高い箇所(標高三三米)を通るので、そこを高水道といっていました。板で川の両側を補強し樋のように水を通したので高水道といいます。」→ 「段彩陰影図」の大山駅から山手通りにかけて、やや小高くなっているところのことでしょう。上流との傾斜差をつけるため、深く切り通し、その切り通し面を保護するため、板で補強していたと思われます。なお、高水道は通称ですが、板橋町大字下板橋当時、上水の右岸から(旧)川越街道にかけての字は水道向でした。