神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

大山橋

2015-09-18 07:15:17 | 千川用水6

 「川越海道 石橋 巾六尺七寸渡七尺」 これは「千川素堀筋普請所積見分」の記述ですが、 千川上水は川越街道と二度クロスしていて、各々に橋が架かっていました。「石橋二 下板橋宿ニアリ一ハ大山橋長一間二尺幅一間半 一ハ平尾橋長一間二尺幅一間五尺」(「東京府志料」) うち今回のテーマは上流に架かっていた大山橋で、千川家が負担する七橋の一つとして、明治18年(1885年)の「私費負担橋梁調書」にもリストアップされています。「同郡下板橋村地内字大山川越往還ニ架ス 一 石橋 長サ八尺巾九尺 但シ文化年中之頃ヨリ村方申出ニ依リ地内村方エ負担引渡ス」

 

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    ・  「東京近傍図 / 板橋駅」(参謀本部測量局 明治14年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境で、主に板橋区ですが江戸時代は左上隅の上板橋村以外は下板橋宿です。

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    ・ 千川上水跡  川越街道を越えて170mほどで、左手にアーケードの屋根の見える旧川越街道と並行するところですが、この先しばらくは重なる道路はありません。

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    ・ 大山橋跡  奥に向かうのが千川上水跡、横切っているのが旧川越街道で、右手に200mで東武東上線大山駅、左手に300mで川越街道、その間はアーケードのハッピーロード大山商店街です。

 <大山の地名由来>  大山の地名由来には、付近にあった小高いところを大山と呼んだ、大山詣の街道筋である大山道に当たっていたなど、さらに橋名が地名に先行したとの説もあり、よくわからないところです。いずれにしても(下)板橋宿の一字ですが、「新編武蔵風土記稿」や「東京府志料」には記載がなく、収録されているのは前回触れた山中でした。それが、現在のように、隣村だった金井窪まで含む形で拡大、普及したのは、昭和6年(1931年)に東武東上線の大山駅が開設されて以降です。特に、戦後間もなく旧川越街道沿いに発展した商店街は、昭和53年(1978年)に全長500mを越えるアーケードが完成、200店舗を有する都内有数の商店街となり、大山の名前を全国区としました。