神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

和田左岸4

2017-08-19 06:47:57 | 善福寺川6

 富士見橋下流で神田川左岸に合流する水路を追っての二回目で、中野区との境の西隣を北上しています。途中左手から小沢の支流の合流がありますが、今回はそのまま北上を続け、鍋屋横丁からの古道に突き当たります。右折すると数回前の→ 写真にあった十貫坂ですが、水路を追ってここで左折します。なお、下掲「地形図」を見ると、十貫坂下南に池が描かれています。(榎本武揚の系譜の)榎本子爵邸の池で、「杉並の川と橋」によると、その余水も水源となっていたようです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正) / 中野」」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 左手から小沢の支流の合流がありますが、とりあえずこのまま北上します。

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    2. ワンブロック離れた右手に、榎本邸の池があったことになります。 

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    3. 古道に突き当たって左折です。左折後の通りの右手が幅広になっています。 

 <十貫坂>  十貫坂の名前の由来には、中野長者と呼ばれた鈴木何某が、坂上から見渡す限りの土地を銭十貫で買ったとか、坂の近くの畑から銭十貫入りの壺が掘り出されたことがあり、やはり、中野長者が埋めたのではないか、とかいった話が伝えられています。これらは「なかのの地名とその伝承」(昭和56年 中野区教育委員会)に収録されていますが、一方、「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)には、「陣観坂」の字を当て、和田義盛鎌倉攻めの本陣(立正佼成会大聖堂の北側の本陣山)を望むので、との説も紹介されています。ことの当否とは別に、中野側では中野長者との、和田側では和田義盛とのかかわりがいわれているのは、地名由来の発生過程を考察するうえで興味深いところです。