神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

暗渠化(下流域)

2015-09-11 06:42:08 | 千川用水6

 昭和の初めに下流域からさかのぼり始めた千川上水の暗渠化は、昭和10年代には川越街道を越え、同15年までに大谷口五差路を目指していました。「二六〇〇年度(昭和十五年)の計畫では、この橋の所まで暗渠化される筈で、・・・・七月末に於いては、ここから三百米下流の、同形式の橋から下が暗渠工事中で、千川を一旦堰止め、第三圖の如く傍に臨時の小水路を設け、本水路にはコンクリート管が敷設されてゐる。」(武蔵高等学校報国団民族文化部門編「千川上水」) 添付された図では、下流から東武東上線の前後は昭和一ケタに完了、次回テーマの新旧川越街道間は暗渠化されたばかりで、未だ橋跡などの痕跡をとどめています。そして、現板橋交通公園前から大谷口五差路までが目下工事中で、並行する臨時のバイパスによって通水していました。

 

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    ・ 千川上水跡  右手は板橋区立交通公園です。大谷口五差路から300mほどのところで、引用文の「同形式の橋」の架かっていたところと思われます。

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    ・ 板橋区立交通公園  昭和43年(1968年)開園、横断歩道や信号などを備えた交通安全教育のための施設で、荒川線を走っていた都電や都バスも展示されています。

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    ・ 千川上水境界石  交通公園の30mほど先の左手、民家のコンクリート塀の基礎部分に、半分以上埋没しており、丸に千のマークがわずかに顔をのぞかせています。

 ところで、昭和15年中に五差路まで暗渠化、というのが当初の計画でしたが、実際にそうなったかは疑問で、練馬教育委員会「練馬の水系」添付の「年度別埋管工事施工状況図」を見ると、第二次大戦で中断されたのでしょう、五差路前後の工事年度は昭和28、9年となっています。その後順次上流へと暗渠化が及び、昭和34年までに南長崎のV字ターンのところに到達しています。そこより上流も昭和26年に暗渠化が開始されて上流へと向い、昭和30年代で大半が完了、最後に残された西武新宿線・青梅街道間は、昭和40年代前半に暗渠化されました。