神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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都道420号の拡幅

2015-09-12 06:55:39 | 千川用水6

 板橋交通公園から百数十メートルで、千川上水跡の道路は都道420号線に突き当たります。現在の道路は突き当たって終了ですが、本来は下掲「昭和12年第四回修正」にあるように、右カーブで接するように孤を描き、川越街道に向かっていました。それが、その後の都道の拡張、整備に伴い、孤の部分の前半は幅広の歩道のようになり、後半は隣接する建物の敷地の一部になっています。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和4年第三回修正測図) / 練馬」  都道420号線、川越街道、板橋交通公園などを重ねています。

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    ・ 千川上水跡  都道420号線に突き当たる手前で、右手の建物の裾を巡るように右カーブします。なお、正面左手のカラーコーンで守られているのが → こちらです。

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    ・ 千川上水跡  右カーブしながら都道420号線に再び接し、その幅広の歩道の一部となるところです。最近までこの個所は都道とは別個の道路となって残っていました。

 <田留水車>  「千川上水路図」や→ 「東京近傍図」の右上隅に描かれた田留水車は、上掲写真の右手奥の建物付近にありました。明治38年(1905年)の「千川水路水車取調書」に「高三尺 搗臼二拾七個 挽臼弐個 北豊島郡下板橋村字大山千弐百拾壱番地 株主田口又五郎」とあるもので、地形図には「昭和4年第三回修正」まで載っています。昭和15年の武蔵高校生徒の調査時には撤去され、水車用の池跡と暗渠を残すのみとなっていました。「道路に沿うて埋立てた後を少しゆくと小さな辨天があり、その背後の池跡に入ると、昔水車に水を取るために掘った暗渠が残ってゐる。昭和七年版の地圖によればここに水車のあったことが解る。」 なお、ここまで紹介した千川上水関係の水車の通称と、「千川水路水車取調書」にある所有者名はすべて一致していますが、この水車はそうなっておらず、疑問の残るところではあります。