神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

本丸、天守台

2019-08-20 06:25:57 | 平川・外堀1

 大手門から本丸をめざして中の門まで来ました。その先を左手に進むと、石垣を見ながら上る坂があり、右カーブで上りきったところが本丸正門となる中雀門(ちゅうじゃくもん)です。大手三の門(下乗門)、中の門を駕籠で通過した御三家もここで駕籠から下りました。その先は視界が一気に開け、20ヘクタール近くある本丸跡です。一方、中の門を右手に折れると、二の丸のエリアに当たり、二の丸大奥や庭園がありました。左手には本丸を隔てる石垣に沿って白鳥堀があり、その先の→ 汐見坂を上るとやはり本丸に至ります。

 

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    ・ 中雀門  真鍮の化粧金具の鍮石(ちゅうじゃく)から、あるいは南面を守護する朱雀(すざく)の転訛といわれています。御書院番の番所があったことから書院門とも呼ばれました。

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    ・ 本丸跡  中雀門の先の芝生に覆われたフラットな空間ですが、かっては手前から表御殿、中奥、大奥の三つの区画に分かれていました。正面奥にチラッと見えるのが、本丸跡を唯一物語る天守台です。  

 20ヘクタール近い本丸の最深部に天守台が残されています。明暦の大火(1657年)によって全焼した天守を再建すべく築造されましたが、復興優先の政策変更により再建計画は取りやめになり、天守台だけが残されました。以後、富士見櫓が実質的な天守の機能を引き継ぎました。なお、江戸城天守は慶長、元和、寛永の各期に三度建てられました。寛永15年(1638年)、三代家光時代に完成した最後の天守は、幕府の権威を象徴する国内最大のもので、外観5層、内部6階、地上からの高さは58メートルありました。

 

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    ・ 天守台  花崗岩製で高さ11m、東西約41m、南北約45mあります。なお、寛永の天守台はやや高く13mほどあり、材質も伊豆石だったそうです。