大手門から本丸までの寄り道です。右折、左折で大手門の枡形を抜けると大手三の門、御三家を除く大名諸侯がここで駕籠から降りたことから別名下乗門です。現在は埋め立てられましたが、大手堀の内側に天神堀から連続する堀があったところで、 → 「慶長十三年江戸図」には「大手土橋」と書き込みがあります。当時はここが大手門の機能をにない、その一つ外側の堀に「大橋」が架かっていたことになります。下乗門の枡形を抜けると二の丸のエリアですが、左手には鉄砲百人組が交代で詰める百人番所、右手は本丸に通じる中門です。
- ・ 大手門(渡櫓門) 前回写真の高麗門に対し、内側の右手にある門は渡櫓門と呼ばれ、直角に配置されています。二つの門の間の、石垣で囲まれた四角い空間が枡形です。
- ・ 大手三の門(下乗門) 大手門(渡櫓門)を出て左折した先にあります。かっては門の手前に下乗橋が架かり、右手天神堀、左手蛤堀を分けていました。
- ・ 百人番屋 下乗門の枡形を左折で抜けた先です。左手の百人番所には与力20人、同心100人からなる根来組、伊賀組など4組が交代で詰めていました。
- ・ 中の門 百人番所の右手にあるのが中の門です。中の門の先を右手に折れると二の丸や白鳥堀、左手の坂を上ると中雀門を経て本丸に至ります。