大手門の先は桔梗堀、内桜田門(桔梗門)です。内桜田門は大手門と並び、下乗門経由で本丸に至る諸大名の登城ルートでした。太田道潅の桔梗紋が屋根瓦にあったことが、別名の由来ともいわれていますが、 → 「別本慶長江戸図」には吉祥門とあります。ところで、桔梗堀の途中で、左手に分かれるのが和田倉堀で、すぐに右折して馬場先堀、日比谷堀へと連続します。一方、桔梗堀のほうは右折、左折のクランクで西側にシフトしながら、蛤堀、二重橋堀をへて、やはり日比谷堀に合流します。こうして、左右に分かれた内堀に囲まれる区画は、東隣りの外堀との間の区画と合わせ大名小路と呼ばれ、幕府要職にある譜代大名の上屋敷が並んでいました。
- ・ 「東京近傍図 / 麹町区」(参謀本部測量局 明治13年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。
- ・ 桔梗堀 桜田巽櫓のところで右折する桔梗堀です。正面奥の大名小路のうち、桔梗堀に近い一角には、幕末に京都守護職を勤めた会津藩の上屋敷がありました。
- ・ 内桜田門 桔梗堀はここで終了します。奥は蛤堀で、天神堀と連続して、二の丸と三の丸を隔てていましたが、今はここから坂下門までの堀となっています。
- ・ 大名小路跡 坂下門前から日比谷方向の内堀通りです。俗に西丸下と呼ばれる大名小路の中心で、幕閣の要職にある譜代大名は、任期中ここに屋敷を拝領しました。