神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

阿佐ヶ谷左岸4

2016-09-07 06:21:37 | 桃園川1

 阿佐ヶ谷地区の左岸流を追っての四回目で、阿佐ヶ谷中央公園の東縁を抜けた先で、神明宮前で権現道と分岐して左岸台上に至る道と交差します。→ 「東京近傍図」を見ると、左岸流はこの道の前後で合流、分岐を繰り返していますが、昭和初期以降の地図にこうしたやり取りはなく、また現行の跡から確認できるものも、本流と合流するまで一貫して独立した流路を取っていて、→ 「阿佐ヶ谷村絵図」の描くものと同様です。なお、同絵図にも書き込みましたが、左岸台上一帯の小名は小山で、「新編武蔵風土記稿」に「東の村界ひなり」と記されています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 阿佐ヶ谷中央公園の東縁を抜け、引き続き南下します。

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    2. 神明宮前に向かう道を越えます。右写真は左岸にある五差路からのショットです。 

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    3. 五差路下の阿佐谷駅に向かう道を越えます。やや右手にシフトし、水路跡に付きものの銭湯の横を通ります。

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    4. 細かく蛇行していますが、元の水路は通りの左手から右手にシフトしていました。

  <猿田彦社旧地>  北五丁目の五差路角は猿田彦神社の旧地でした。明治7年(1874年)に天祖神社(神明宮)に合祀されたのち、合祀を記念する石碑と楕円形の川石が永く旧地に祀られていました。今は神明宮境内にある→ 猿田彦神社の傍らに移されています。角柱の石碑が合祀記念碑ですが、その裏面には「水鶏(くいな)鳴く 葦生う里のしるべ石 行く来を守る道祖大神」と刻まれています。旧地から望む桃園川流域には葦が生い茂り、水鶏が棲んでいた時代もあったのでしょう。阿佐ヶ谷は葦ヶ谷だったとの地名由来もあるほど、葦の茂る土地柄だったようです。なお、記念碑の前に据えられた川石は、「杉並風土記」(昭和62年 森泰樹)の聞き取りによると、かって桃園川の流れの中にあったものです。野菜を洗うときなど足で踏むとたたりがあり、それで川から上げて神社に納めた、と伝えられています。