神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

下練馬村分水4

2015-07-25 07:02:41 | 千川用水4

 羽沢ふじ公園を過ぎ、百数十メートルで都営アパートの敷地に差し掛かりますが、このあたりまで来ると谷筋もやや広くなり、かっては水田として利用されていたところです。そうはいっても、ここまで見てきた中村や中新井村に比べ、→ 「段彩陰影図」で見るように谷筋の狭さは顕著で、分水に依存する水田はごく限られたものでした。明治初めの用水使用水田面積は3.2町歩(村全体の水田面積44.2町歩 以下同様)となっていて、中村の9.4町歩(10.2町歩)、中新井村の11町歩(17.5町歩)に比べ、面積の少なさ依存の割合の低さは際立っています。なお、数字は用水使用水田が「星野家文書」、全体は「東京府志料」によっています。ちなみに同じ文献を元にした上、下井草村等六ヶ村組合の合計は64.2町歩余(81.8町歩余)です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正測図) / 下練馬」 上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 羽沢ふじ公園の先です。右手の歩道には車止めが付いていて、水路跡を物語っています。 

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    2.  また水路単独の狭い路地が見えてきました。右写真は左岸からのショットで、変わらず狭い谷筋が続いています。

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    3. 狭い路地を抜けると、右手が都営羽沢2丁目アパートの敷地です。

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    4. 右写真に写る都営アパートの敷地の幅が、ほぼ谷筋の底の幅にあたり、かっては水田だったことになります。