神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

筋違橋

2015-07-11 06:58:12 | 千川用水4

 石神井村の筋違橋で入れ違って以来、千川上水は並行する通りを右岸に見てきました。それが→ 「東京近傍図」にあるように、目白通り(清戸道)と交差するところで、いったん通りの南側にシフト、350mほどそのまま進み、練馬駅前で改めて北側に戻ります。この北側に戻るところに架かっていたのも、やはり筋違橋という名前でした「石橋 下練馬村ニアリ筋違橋長一間一尺幅一間四尺」(「東京府志料」) 「千川素堀筋普請所積見分」が「石橋石六枚・・・・是より五間下り寅卯ニ向」としているのも、この筋違橋のことと思われます。同「見分」が方角を書いているのは、流れの向きに変化のあるときで、場所を特定する際の手掛かりの一つとなっています。

 

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    ・ 千川通り  豊島園通り入口交差点の次の交差点からのショットです。筋違橋は次の信号との間にあって、、右手前から左奥へと斜めに架かっていました。

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    ・ 筋違橋跡  親柱を復元した記念碑が、通りの左右にはす向かいに立っています。斜めにに架かっていた橋の位置を再現しているのでしょう。

  <筋違橋記念碑>  記念碑の裏面には武蔵学園提供の筋違橋の写真が載っていますが、武蔵高等学校報国団民族文化部門編「千川上水」に掲載されているもので、「板橋區中新井三丁目。武蔵野線練馬驛附近。丁度練馬の街の中央部で河が道路の南側から北側に移る。コンクリートの筋違橋を架してある。寫眞は上流に向かって寫した。橋畔の小さい堂宇が昔の面影を残してゐる。」と注記されています。上掲写真の記念碑は下流に向かってのショットなので、逆向きということになります。

 

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    ・ 筋違橋記念碑  写真と共に「この石碑は、昭和30年までこの地にあった千川上水の筋違橋(すじかいばし)の親柱を復元したものです。写真は昭和15年頃の暗渠化される以前の筋違橋。」と書かれたプレートがはめ込まれています。