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神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

田町二、三丁目境

2014-10-06 07:13:14 | 城西の堀川3

 大下水(赤坂川)が田町二丁目と三丁目の境に差し掛かったところで、右岸からの合流がありました。「御府内備考」に収録された田町二丁目の書上には、大下水と共に合流する下水についての記述があります。「下水 幅弐間余 右者町内向御明地内ニ有之委細同所壱丁目より申上候」 「下水 右者町内家前折廻ニ有之同所新町弐丁目より相流同所田町三丁目当町堺より前書大下水え落込申候尤往古者大刀洗川と相唱候由ニ御座候」 なお、明治末の「郵便地図」を見ると、赤坂川に合流していた水路は現外堀通りを越え、東側の改修後の溜池に流れ込むよう付替えられています。そこに架かる橋は明治34年(1901年)に架替えられており、付替えもその頃のことなのでしょう。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載、上掲地図のグレー枠の部分です。

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    1. 元は田町二丁目と三丁目の境ですが、現在は同じ赤坂3丁目です。

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    2. 付替え後の外堀通りに向かう水路跡です。通りには中柳堤橋(長10尺幅8間)が架けられていました。

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    3. みすじ通りに突き当たって左折です。この通りの西側には赤坂新町(1~3丁目)がありました。

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    4. すぐに右折して次の一ツ木通りに向かいます。左折以降の流路と重なる道路は不明なので、青点線は書き込んでいません。

赤坂田町

2014-10-04 07:06:14 | 城西の堀川3

 溜池を一通りめぐったところで、赤坂見附交差点まで戻ります。鮫川下流の大下水(赤坂川)の続きです。弁慶堀の南岸沿いを元赤坂町、裏表の伝馬町を流れた大下水は、赤坂見附交差点手前で右折、今度は溜池に沿って南下します。溜池と大下水の間には幅五間の明地が設けられ、埋樋の玉川上水が流れていました。一方、幅二間余の大下水の西側は、赤坂田町(1~5丁目)と呼ばれる町屋でした。その名の通り、元は一ツ木村の田地でしたが、隣接する表裏の伝馬町と同様、赤坂門などの普請時に土置場として利用されたあと、南伝馬町の傳馬役三人に給付され、正保年間(1644~48年)までに町屋として起立したものです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。) 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載、上掲地図のグレー枠の部分です。

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    2. 赤坂見附交差点手前で右折します。この右手が表伝馬町一丁目でした。

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    3. エスプラナード赤坂通り(田町通り)の入口で、左手にシフトします。この通りが赤坂田町と明地を隔てていました。

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    4. 左手を並行する通りで、明治の末の地図に赤坂川に代わって登場、ここから六本木通りまで、ほぼ直線で900m弱続きます。