「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

精神世界への誘い 「友人・親友に飢える若者たち」

2022年07月17日 10時30分38秒 | うつせみの精神世界への誘い
最近、Twitterの精神疾患を抱える若者たちのTweetを見たり、メッセージを交わしたりすると、よく聞かれるのは「友達が欲しい」「なんでも話せる友達が欲しい」などなど。精神疾患を抱える人は、なかなか積極的になれないという現実がある。「躁になると積極的になるのでは?」と思うかもしれないが、「躁状態」になると往々にして「過剰な攻撃的」になりがちである。
また、友人ができても健常者&精神疾患者であると精神疾患者が意図せず健常者に「乗っかり」負担をかけて健常者が支えきれずに仲違いしてしまうというのはよく聞かれる話です。当人が話さなくと近くで見たり相談に乗っていると、分かってしまう構図だ。
精神疾患者&精神疾患者の場合はお互いの体調や気分の浮き沈みがあって、わかり合える点と互いに沈み込んでしまうときにヘルプが出しにくくなっている。
どちらの場合でも私の周りでうまくいっているカップルもある。
友人・親友という点では「すぐできる」という錯覚があるように見える。ただ、先程も言ったようになかなか積極的になれない現実を考えると「即席式」を追い求めてしまうことも理解できるが、現実世界ではそういかない。SNSでコメントを交わし、LINEで具体的なコンタクト方法を作って実際に会う。これは「今の若者」に限ったことでなく、ずいぶん前から「出合いサイト等」でやられていたが上記以外のさまざまな手法を駆使することにより、たやすく会うことができるようになった。それと「友人・親友が出来る」とは別の話。「そんなこと分かっている」といっても様々な友人作ることに困難な現実に直面すると、つい「安易な方法」を選ぶのは人の考えだと思う。
まっ、「今どきのつながり方はそうなんだ!」と言われれば「どうぞ」と言う他ないが、実際は現実的な関わりの中から「友人関係」は構築されていくものだと私は考えているので「病気を理解してもらえなくてツライ」、私もそうでした。今もそうか…。あくまでも私のやり方というか考え方だが「自然に任せる」「強く求めない」。おおざっぱに言ってしまえば「私のツラさ苦しみは他の人には理解できない」という点に立てば、結構楽なもんです。別に世間をあきらめるわけではないが、「ツラさ苦しみは理解できない」は高望みをしないための現実的なラインではないかなぁ〜と思っている。Dr.もカウンセラーも例外ではない。
あまり、過剰な期待は禁物!
私もそれまではいっぱいトライ&エラーを繰り返してきました。その度に周りの人に迷惑を掛けてきましたが、それで離れていく人にすがらない、追いかけない。離れていく人には「バイバイ」というくらいの気持ちでいたい。

では、バイバイ(^_^)/~


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うつせみ和尚のお説教 「『資格乱立 心理学』について考えるのこころだぁ〜」

2022年07月11日 19時32分07秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
ずいぶん前から「資格ブーム」ですが、芸能人でも数十と資格持ってる人いますね。暇なんでしょうか?(毒)大手の「○ーキャン」もCMで芸能人に資格取らせるのを流してたりしますが、やっぱり専門学校や大学に行って取るのじゃないと世間で相手にされないような気がしますが、趣味程度なら勝手にやって、て感じですがね。医療事務のことで実は説明を聞いて講座受講の一歩手前までいったん出すが第二波あたりのコロナで受講者〇人。「規定数になったらご連絡します」ということでお流れになったのですが、そののち実際に医療事務をやってる方に聞いたんですが「私も○ーキャンで受講したんです。役に立ちませんでした(笑)」ということでした。「医療事務」と言っても「診療科目」や「PCソフト」などで違うこともあるそうです。
前の職場では「次世代の事務方ホープ」という人がいて(私より10以上年下だったと思いますが)元々「精神保健福祉士(PSW)」で、ひそかに専門学校の通信制で勉強して「社会福祉士」を取得、就職試験をパスして役所に再就職した方もいましたが…。(手回しが早い)別件でたまたま帰りの電車が一緒になって少しの時間ですが話をしたのですが「うつせみさんには『社会福祉士』向いてるんじゃないですか?」って言ってましたが、まさかその方が資格取って辞めるとは思いませんでした(笑)
「心理学」でいうと臨床心理士は学会が資格認定するそうで大学の修士を出て試験資格がもらえるとか…。最近、国家資格になった公認心理師も同様のようです。色んなところで話しを聞きますと臨床心理士で「心理職」についている人は結構合格する人が多かったようですが、臨床心理士で「支援職」についていた人の合格率はさほどでもなかったようです。他にも一般社団法人みたいなところで「心理士」「カウンセラー」の資格を出しているところもありますね、そこは「大学卒業」や「相談員歴○年」ということは必要なくて、いくばくかのお金を払って受講するといただけるというものらしいですが、それで就職は無理なようです。うちの職場の貸部屋で定期的に「〜心理カウンセリング講座」ってやってますが、目が飛び出るほどの金額を支払ってるみたいです。(大学行ったら?)私は臨床心理士や公認心理師にカウンセリング受けたり職場で話したりしてましたので「付け焼き刃ではかなわない」と思っていますがね。
若い時に一所懸命受験勉強するという「訓練」は、後になっても「学習するできる習慣」ができているように感じます。もちろん私なんか小学五年生から勉強はしてませんから足元にも及びません。
話しは飛びましたが…。私が見てきた人の中にも「精神疾患になったことを誰かに役立てたい!」と思って上記した「〜心理士、カウンセラー」の資格を取った人知ってますが、その後専門職に就いたとは聞いておりません。もっとも、その方は職にしようというのではなく、「周りの困っている方のために…」ということだったらしいです。ですが所詮「付け焼き刃」相談しに来た方に害がなければいいのですが…。心理士、カウンセラーも乱立ですから、まだ「国家資格までは行っていないが、必要な分野」では、まだまだ乱立しているんじゃないでしょうかね?「思い立ったが吉日」で、手短なところで済まそうとすると金だけ取られて実にならないということは避けましょうね。
私も精神保健福祉士を取ろうか?と時々思いますが「取ってもなぁ」と思って「未遂」に終わっております(笑)
身を以ての『実体験』だけは豊富なんですが…。

講演依頼お待ちしてまぁ〜す(笑)





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(複雑性)PTSD/うつ病闘病記 「『傷だらけの我が身』フラッシュバック?情けなくなる?』

2022年07月08日 01時45分21秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
ただいま入院中でして、日曜祝日を除く毎日病気のシャワーを浴びるのですが、自宅のユニットバスでは、自分の体は見ませんし、姿見はありますが、まず見ません。
遡って考えますに、爆発事故に派手に遭いまして、最初の病院では手術することなく、退院しました。実家やその当時お付き合いしていた方の姿見で自分の派手に焼けた体を見ると、もー『フラッシュバック』に直行です。見なくても傷に触るだけで、もーダメでしたね。『フラッシュバック』にならなくても、その体を見て悲しくなって涙を流したときもございました。(¯―¯٥)
そんな状態が結構長く続いて、時間とともにまさに「薄紙をはがすように」少しづつ薄らいで入ったもののまだまだつらい時期が続きましたね。2003年7月9日(今日が2022年7月7日深夜…もう8日ですが)体を見ても触っても、そしてその『記念日』が近づくと、「フラッシュバック」や「様々な体調不良」が起きていました(頻発することは無くなりましたがいまもあります)。
話しは飛んでしまいましたが「体の傷」です。最初の退院後の翌年から「皮膚移植が毎年の好例行事」になって、でもそれは傷が少なくなるのではなくで、いわゆる「ケロイド状」の傷が少なくなるだけで皮膚移植の縫合の傷や移植のために取ったところにも新谷「追加」されるわけで、「フランケンシュタイン」か「大仁田厚」状態です。
今回の「高位脛骨骨切り術(略 骨切り術)」でついた傷は今までの傷から見れば小さなものですが、その後の安静時に付けていた膝から足首上辺りまで固定する装具によってできた「発疹」やこの時期(記念日周辺)に手術を決めたことによる「ストレス性の皮膚炎」がいつも以上に広範に広がってしまい、両臀部、両大腿部裏面にまで広がって、より「醜い」「情けない体」になってしまいました。ですが、以前のような「フラッシュバック」や「涙ぐむような悲しい気持ち」にはあまりならずに、これは前の職場兼かかりつけの精神科病院で、「従業員割り引き」数年掛けてカウンセリングを受けてずいぶんと回復したお陰なわけです。
こぼれ話を…その当時「生活困窮者」で「生活保護受給者」だったので、一度に数千円かかるカウンセリング料を捻出するのは、その月にちょっとしたものを買ってしまうとカウンセリング料が出ないわけです。ですが、前にカウンセリングを受けた時に次回の予約も同時にするのですが、どうにならないのでカウンセラーの男性に「今月お金がないので来月に!」って伸ばしてもらうことも少なくありませんでした。
なもんで、カウンセリングを受けた期間は3,4年が経っていたと思います。しかし引き続き受けていくハズだったものが、残念な出来事で職場を去らざるをえなくぬくなって(少なくとも当時はそう思ってました)、中断してしまったことが、最近になって心残りになってできることならば、中断してしまったカウンセリングの続きをやれたらなぁ。と思い始めていますが、さすがに敷居が高いですね。今までの経緯がありますので、同じカウンセラーにお願いしたいのですがね。
ここは自分が乗り越えなければ行けないのかもしれませんね。




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うつせみ和尚の説教 「患者心得『入院生活は自分で楽しくするべし』」

2022年07月04日 22時21分14秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
私が主に「ケガ」や「精神疾患」で入院していることから、「生命を左右する入院」は、そんなに経験しておりませんので、その範囲でのお話です。あくまでもね

今、足の機能改善のための手術、リハビリのために入院しておりますが、年齢のせいかもしれませんが「満足する域」が狭くなったのか、欲が少なくなったのか、もう「仙人」なのか(ウソ)、私の場合は『本』『日記ノート』『ゲームには使わないスマホ』程度で満足なんです。(これでも多いかな?)今までの入院のようなNs.やDr.、同部屋の患者さんとの関わりはあまり興味なくて、「自分の中のお楽しみ」に浸っております。全くコミュニケーションしないわけじゃありませんよ。必要以上に接近しないということです。確かに過去の入院がきっかけで今も親交のある方も居ます。しかし、齢(よわい)四十九(この前、病院内で誕生日を迎えました)…。人間関係もそんなに広げたってねぇ。「偶然の産物」は否定しませんがガツガツはいかないですね。

さて、「患者心得」ですが、これは入院中か否かは問わず、「悲劇のヒーロー/ヒロインを気取らない」「必要以上の落ち込みはしない」「から元気禁物」「必要以上に医療に期待しない、クレームをつけない、ストレスのはけ口にしない」。ただひたすらに自分の回復に努力すること、安静が必要なのかな、一所懸命のリハビリ/カウンセリングなのか様々ですが、特に言いたいのですが「同じ怪我/病気仲間」を必死に作ろうとするのは、はっきり言って見苦しいし、なんのための入院か理解に苦しみます。これまた「偶然の産物」は除きますが…。

苦しい入院/闘病生活を少しでも快適にするのは「自分の気持ちの持ちよう」なので極論ですが「笑って死ねる」「笑って退院する」ための努力です。「笑って闘病生活を振り返る」ための努力です。闘病生活が今なお続いていても同じです。

私がいうのは「自分をご機嫌さんにするのも不機嫌にするのも出どころは自分」というわけです。Dr.でもNs.でも家族でもないということです。もちろん手助けはしてくれるかもしれませんが、それらに「おんぶにだっこ」してはいけません。『死ぬも生きるも我一人』のつもりで、そこに少しでも手助けしてくれる人がいるなら、そのありがたみは大変大きなものと感じるでしょう。「助けてもらって当然」は、「退場処分」並みの話で私から言わせれば「あなた何様?」と言いたくなります。
 
端的に言えば「自助」ということになるかと思います。

こけるんだったら、前にこければ、その分だけ前進です。

病気やケガに苦しみ時には絶望してしまう方、無理矢理に前向きになる必要はありませんが、それぞれの中に「前向きになれる『種』は必ずある」ものです。その『種』から芽が出ることを祈っておりますよ。

たまには良いこと書くなぁ〜(一言余計か…






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