「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ和尚の説教 「患者心得『入院生活は自分で楽しくするべし』」

2022年07月04日 22時21分14秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
私が主に「ケガ」や「精神疾患」で入院していることから、「生命を左右する入院」は、そんなに経験しておりませんので、その範囲でのお話です。あくまでもね

今、足の機能改善のための手術、リハビリのために入院しておりますが、年齢のせいかもしれませんが「満足する域」が狭くなったのか、欲が少なくなったのか、もう「仙人」なのか(ウソ)、私の場合は『本』『日記ノート』『ゲームには使わないスマホ』程度で満足なんです。(これでも多いかな?)今までの入院のようなNs.やDr.、同部屋の患者さんとの関わりはあまり興味なくて、「自分の中のお楽しみ」に浸っております。全くコミュニケーションしないわけじゃありませんよ。必要以上に接近しないということです。確かに過去の入院がきっかけで今も親交のある方も居ます。しかし、齢(よわい)四十九(この前、病院内で誕生日を迎えました)…。人間関係もそんなに広げたってねぇ。「偶然の産物」は否定しませんがガツガツはいかないですね。

さて、「患者心得」ですが、これは入院中か否かは問わず、「悲劇のヒーロー/ヒロインを気取らない」「必要以上の落ち込みはしない」「から元気禁物」「必要以上に医療に期待しない、クレームをつけない、ストレスのはけ口にしない」。ただひたすらに自分の回復に努力すること、安静が必要なのかな、一所懸命のリハビリ/カウンセリングなのか様々ですが、特に言いたいのですが「同じ怪我/病気仲間」を必死に作ろうとするのは、はっきり言って見苦しいし、なんのための入院か理解に苦しみます。これまた「偶然の産物」は除きますが…。

苦しい入院/闘病生活を少しでも快適にするのは「自分の気持ちの持ちよう」なので極論ですが「笑って死ねる」「笑って退院する」ための努力です。「笑って闘病生活を振り返る」ための努力です。闘病生活が今なお続いていても同じです。

私がいうのは「自分をご機嫌さんにするのも不機嫌にするのも出どころは自分」というわけです。Dr.でもNs.でも家族でもないということです。もちろん手助けはしてくれるかもしれませんが、それらに「おんぶにだっこ」してはいけません。『死ぬも生きるも我一人』のつもりで、そこに少しでも手助けしてくれる人がいるなら、そのありがたみは大変大きなものと感じるでしょう。「助けてもらって当然」は、「退場処分」並みの話で私から言わせれば「あなた何様?」と言いたくなります。
 
端的に言えば「自助」ということになるかと思います。

こけるんだったら、前にこければ、その分だけ前進です。

病気やケガに苦しみ時には絶望してしまう方、無理矢理に前向きになる必要はありませんが、それぞれの中に「前向きになれる『種』は必ずある」ものです。その『種』から芽が出ることを祈っておりますよ。

たまには良いこと書くなぁ〜(一言余計か…






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