「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

『バリアフリーとは?』-目に見えるものと、目に見えないもの

2016年09月18日 16時59分54秒 | 日々是佛滅

バリアフリー体験通じ理解を 相模原市立鶴園小で教室

世の中「バリアフリー」という言葉がすっかり定着いたしまして、

それは主に「高齢者の為の住宅改装」、であるとか

視力に障害を持つ人の為の鉄道のホームの改造だとか、

車いすの方向けのフラット化などですかね?

しかしながら、「発達障害・精神障害」などの一見目に見えない障害に関しては

「バリアフリー対象外」という感じです。

「『発達障害・精神障害』に何が必要か?」

「心のバリアフリー」なのです。

昔からある「蔑視」なのです。

ある時は、「まるで生ゴミ」を扱うかのようにされる身の悲しさ。

それは場所を選ばず人を選ばず随所であるわけです。

理由は「自分と大きく違うから」です。

要するにバカなんですね(毒)

発想の許容範囲を超えているわけです。

「自分と違うものは『異常』なもの」というわけです。

さて、「心のバリアフリー」がなされるのはいつのことやら・・・

 

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空蝉の現人的こころ『私は替わったのか?』-疾患者から支援者へ

2016年09月18日 06時53分34秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

私が通院先の病院へ勤めるようになって丸三年が過ぎました。

当初から「ピア(精神疾患者)支援者」として、仕事をしていました。

しかし、それは国からの直結事業であったので、補正予算にも乗ることもなく、

ある年の年度末に打ち切られました。

しかし、有資格者-看護師、精神保健福祉師などは

「訪問看護」という形で続いていました。

私も最近までは看護師と共に「訪問看護」のお手伝いをしていました。

有資格者の「SP役」のようなものの役割。

その役割と共に「同じ精神疾患者の目線でのアプロ-チ」でした。

しかし、ほかの仕事との兼務で体は疲弊し、「訪問」の仕事を離脱しました。

さておき、私が入院していた時に知り合った方の近況が気になり、

LINEで聞いたところ、「あまり・・・」ということでした。

通院に関しても「薬をもらうだけ」ということでしたので、

ここからが問題で「自分の味方がいるうちに自分の疾患に正面から向き合っては?」と

送って、何回かやり取りするうちに、

失神たようでこの方の今身の回りしてくださっている人に電話で話しをしました。

その方の話によると、

「今、あなた(空蝉-現人)は、

現状を知らないでしょ?だから、タッチしないで欲しい」とのこと(泣)

私はLINEでのやりとりで自分の発言が「上から目線」だったのかもしれない。

私は「ピア・支援者」から自分の障害を気にせず「健常者支援者」ぶっていたのか?

と自己嫌悪・・・(-_-;)

悪い意味で替わったのか?

しかしながら、Dr.の見解も聞ける立場にもなったし、

相手方の情報も本人及び病院から得ることも出来るようになった。

私とすれば、本人を多角的に見られるようになったと思うのだが、

正直言って、本人の発言及び変化を目の当たりにするとそれだけが全てで

『自分が一番の理解者』と奢ってしまったのだっろう。

あ~、今までと同じパターン。

一番しんどくなっるのは、当事者なのに・・・。

健常者の「自己満」、「当事者の甘え」これではなんの前進にもならない。

しばし、静観です。

 




今日も元気だ!?「吐血」しちゃった・・・(寒)

2016年09月18日 00時05分50秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

え~(汗)。

今日朝起きましてね、弁当準備して、その後飯食って

それから、歯を磨く前に「なんだか、多量に口にたまった唾液を『ペッ!』って

吐いたら、通常のつばが真っ赤っか!!

ほとんどが「血液」でした。

「俺もとうとう・・・」

「今晩、赤飯炊こうか!」と思いました。(嘘)

明らかに「歯ぐきからの出血」でした。

仕方なく、このまま出勤。

勤め先でいつもの歯科に電話して事情を話し、次回の診察を前倒してもらいました。

とは言っても、歯科と私のスケジュールがかみ合わず、来週の金曜になりました。

とんだ吐血騒ぎでした m(_ _)m

 

 


『相模原障害者施設殺傷事件』を受けて、支援者として、障害者として

2016年09月14日 23時58分50秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

相模原障害者施設殺傷事件の検証委員会を設置 神奈川県

誠に「最悪な人間」よる「最悪の事態」が起きてしまった。

結局は「法の網」を抜け出せるように「明らかな殺意」の元、犯行に至った。

犯人は施設に勤めていた時から「障害者は生きる価値が無い」などと言っていたようだ。

この言葉を受けて、「俺も生きる価値が無いのか・・・」と思いますわね。

殺傷されたのは、自分で思うように体が動かせない方々です。

だから、生きる価値が無いのでしょうかね?

私の田舎の町のも(今は市町村合併で「市」ですが)

「知的障害・発達障害」の施設が今でもありますが、

当時からやはり「触れてはいけないもの」として、

「精神的な隔離」で、外部との接触は無かったように思います。

私も「違い障害」ですが、「障害を持ったものにしかわからぬ辛さ・苦しさ」が

ありますし、家族や親せきからも距離を置かれる「悲しさ」も私も味わいました。

「相模原障害者施設殺傷事件」では犯人の入院していた

病院の退院基準の「甘さ」も言われています。

そして、「退院後のフォロー」の問題もあります。

問題を持っていて、退院した患者には病院や訪問施設が

自宅を訪れることが必要です。

そこで、「在宅のチェック」や「服薬のチェック」、「カウンセリング」などは、

今や「常識」だと思います。

ここまで「重症患者」の場合では、「即退院」ではなく、

「退院訓練」を行います。まずは家に帰って数時間だけ滞在して帰院して、

その後は、「一泊外出」から徐々に長くして行って、

ようやく退院というやり方もあります。

今仕事では、様々な支援をやらせてもらってますが、

なにせ、「半病人・半職員」ですから、仕事量の限界があります。

ざんねんながら・・・。

「障害者の人権」と「退院させることの危険性」難しい問題です。

 

 

 

 

 


 


『私だけが・・・』論と『私じゃなく、みなさんが・・・』論、どっち?

2016年09月14日 21時33分00秒 | 日々是佛滅

東日本、熊本、最近は関東も揺れています。

さらには、「数十年後、必ず地震が起きる」という、

あまり良い予想でない情報がありますが、既に被災された方々には

お見舞い申し上げます。

被災直後には「急性ストレス障害(ASD)」で一ヶ月を過ぎても

まだ同じ症状が進む状態を「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」になります。

心が敏感な方は、以上のような障害になりがちで、

即、治療に入らなければ、私のように17年も引きずることになります。

よくあるのは、「私だけが、大変な目に遭っている」という思いです。

これは経験者の口から言いますと、

「泥沼状態」であがけばあがく程、沈んで行きます。

それから、「私はいいから、他の人を助けてください」という

自分が傷ついているのにも関わらず、他人を優先させる方です。

これも同じように早く治療に入らないと、傷は深まるばかりです。

心の復興は、「みんなが同じスタートライン」で行うべきで

誰も「置いてけぼり」をしてはいけません。

「物・心」両面で復興が待たれます。