日記を日々綴っておりますと、折々で自分の文章力を自分自身に問わないわけにはまいりません。
不適切な言葉を使用していることに気が付いた時の、恥ずかしさ。
以前に、他のブログで、私の表現の間違いを指摘された方がいました。
誤用とまでは、必ずしも言えない程度のことでしたが、一般的には、当てはまらない語使用と分かり、慌てて訂正したものです。
昨日の日記で使用した助長という言葉も、明らかに間違いですね~
他の表現に変えました。
言葉が躍るも、なんだか、文章の内容からして、変・・・・・・
でも、まじめにもっとふさわしい表現を探し求めはするものの、思い付かない。
ボキャブラリーの引き出しも、知識の引き出しも貧弱な私が、たまにお休みを取ったものの、およそ一年少々、ほぼ毎日、日記が綴れたことは、驚異的。
自ら、信じられないようなことです。
去年の秋頃、私が一番敬遠していた過去の日記をすべて読み直す所業を無理やり自らに果し、日々遂行したことがあります。
カテゴリーについて、私は全く無頓着で、日々の記述は、すべて日記となっていましたので、その分類分けの目的も兼ねてのことでしたが。
過去の文章は長文の上(今もこの点は、変わりませんね~笑)、話がしょっちゅう脱線。
テーマから逸脱してしまい、赤面の思いで読んだものです。
その都度、推敲し、中にはひどすぎて、手の加えようがなく、完全に抹消した日記もあります。
しかし、カテゴリーの分類訳も、昨年の秋ごろの記事で中断のまま。
その後の記事には、やり残したものが、まだたくさんあります。
むろん手直しもしていません。
日記ですから、文章の巧拙などお構いなく、心情を素直に発露すればよいだけ、と頭では理解しているつもりですが、公開となると、どうしても多少は気になりますね~
文章力を身に付けたいとの思いは、若い頃から幾分はあり、文章読本の類の書物は、時に手にもしました。
しかし、いつも、斜め読みでしたから、何も覚えておらず、その指南が身についてもいません。
馬鹿の一つ覚えのように反芻し、心がけていることが、1点だけあります。
これまでにも幾度か触れたように思いますが、センテンスを短くすること。
私のように、さして文章力のないものには、この点を注意するだけで、主語と述語が混乱することが余りなくなり、文章の冗長をいくらか防ぐことができます。
三島由紀夫氏や、大江健三郎氏のような天才小説家のワンセンテンスは、非常に長いですけれど・・・・・・
小説家の努力に思いを致すなら、ある日の新聞に載っていた川端康成氏の執筆中の原稿用紙を目にした時の、鮮烈な印象です。
1枚の原稿用紙が至るところ、棒線で消され、所狭しとばかりに、推敲の文や言葉が書き加えられ、その努力の跡は、ノーベル賞作家とは言え、涙ぐましいほどのものでした。
文章が上手になりたい、との思いは、私に限らずブロガーさんんも願って止まないことでいらっしゃるでしょう。
その手段となり、人格磨きにも役立ちそうな、とある方法が、いま静かなブームになっているのを皆さんはご存じですか。
朝日新聞の天声人語の書き写しです。
老若男女を問わず、さらに学校でも教師の指導のもと、学生も実践しているところがあるようです。
私はいま受験中のR君にもぜひ行ってほしいと、ひそかに願っています。
でも長女のところは、確か朝日を取っていなかったのでは・・・・・・
そうだとしたら、とても残念ですけれど。
私も、内容もいつも素晴らしいので、書き写しをしたいとの思いは山々ですが、時間がとれません。
皆様は、如何でしょうか?
昨年の天声人語の年末のご挨拶文の中にも、書き写しのことに触れ、感謝の言葉が述べられていました。
たかが ブログ。
小説家や新聞記者の文筆家と比べてどうするの、と笑われそうですね。
ハイその通りです。
しかしながら、たかがブログ、されどブログ。(笑)
ささやかな文章修業も重ねながら、今後も、自信のないまま、牛歩のごとく、一歩一歩前に進んでいけたらいいな~と、私は思っています。
今日は久しぶりに、夕食の献立の写真です。
お正月が明けて、最近まで、去年の買いすぎた残りの食材を使用しての節約料理に努めていました。
でもいよいよそれも底をつき、先日買い出しに出かけ、今冷蔵庫の野菜室はいっぱい。
上手に活用し、お野菜たっぷりのお料理を、今年も心がけるつもりです。
今日もお立ち寄り下さいまして、ありがとうございました。
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