しばらく爽やか秋晴れのお天気が続きましたが、25日は珍しく曇天で、日暮れ頃から雨が降り出しました。
いつのも暮らしであれば、良いお湿りで、ガーデニングを愛する私には恵みの雨なのですが、その日ばかりは、そうはいきません。
三歳になる次女の子、かれんちゃんの、七五三の少々遅いお参り日だったからです。
少し前から、天気予報はその日だけ雨マーク。
これでは、かれんちゃんは今後雨女になってしまうのかしら、と少々気がかりになるような不運さでした。
ところが実際は、週間天気予報は外れ(前日の予報通りでしたが)。
早朝、目を覚ましカーテンを開けると、かすかに薄日もさす明るい空模様にホッとした私です。
次第に空が暗くなっていきましたが、明治神宮へのお参りがすむまで、何とかお天気は持ちこたえてくれました。
今日は、七五三のお祝いについて詳しく綴りたいところですが・・・・・・
私の身の周りの出来事を、順を追って書き留めていきませんと、もともと忘れっぽい私の頭は、最近の目まぐるしい変化についていけず、整理が思うように出来なくなっています。
ですから、日付に従い、順次書き留めていくことに致します。
何と言っても、今私の心をしめている重大事は、旦那さまの病の経過ですから。
何と一昨日は緊急手術で、次女と最寄駅で別れ、我が家に戻ってきたのは、真夜中の11時半過ぎでした。
今日は、前回もったいぶった終わり方で続きとした、主治医のお話しの内容から始めます。
放射線治療のの副作用が、非常に強い夫の体。
先生は、二十数年間、この治療に臨んできて、夫のようなひどい副作用の症状を診たのは、初めてのことでいらっしゃるようです。
副作用で、色々な臓器が炎症を起こしむくみ、そのために食事のみならず、水分さえも少量しか受け付けなくなり、脱水状態で緊急入院した旦那さまです。
入院する数日前に、体調が急激に悪化したようだとのことでした。
さらに、退院前から長い間続いた熱の原因も判明しました。
腸管が弱くなった部分に、微小な穴が出来、汚い腸液が流れ出て、腹腔内の一部に膿がたまり、そのために発熱したようです。
けれど、幸いにも、腹腔内には、その膿がひろがっていないため、腹膜炎には至っていないとか。
但し、その膿の菌が、血中に広がり、敗血症になっていると考えられる、と。
主治医のお話しでは、「敗血症」という言葉は、私が聞く限りでは、直接耳にしませんでした。
帰宅後、治療、検査の説明書を熟読し、初めて目にした私。
その言葉からは、死が連想され、大変なショックを受けました。
けれど、その後の先生のお話しから、敗血症にも幅があり、まだとても軽い域のものだと伺い、どんなにか安堵したことでしょう。
そして、発熱と体の症状を悪化させている膿を管で抜く外科的処置を緊急で行うことになりました。
その処置は簡単なもので、先週の土曜日に無事に終了。
膿を出すための管を通したことで、100ccの膿が取り出せたようです。
そのため、翌日から、次第に体調は改善していくでしょう、とのことでした。
今後は、しばらく経過を観て、臓器の炎症が落ち着いてきたなら、早めに一時的な人工肛門を作り、食事を食べれるようにしましょうと、言われました。
点滴のみに頼っていては、体力の改善は期待できないので、食事をすることが、とても大切なようです。
そういえば旦那さまが、栄養剤のリキッドに頼り切り、私の食事を一切受け付けなくなったのは、、病院から戻った直後からでした。
嬉しい診断報告を受けたにもかかわらずです。
最初は、腸内に食事のかすがたまるのを恐れてのことのようでしたが、その内放射線の副作用が強く出はじめ、いっそう受け付けなくなったのでしょう。
もし、診察前のように、食事が取れていたなら、体力が付いて、副作用も軽く済んだのかもしれない、と思ったりも多少しますが、その辺りの因果関係は、素人の憶測で分かるものでは到底ありません。
処置のお陰で、諸臓器の数値その他は、その後、すべて良い方向に向かい、急速に回復に向かっていったのです。
外科的処置が行われた翌日の日曜日は、娘達が交代でパパを見守り、私は休養日。
月曜日は、かれんちゃんの七五三のお参りで、明治神宮へ、その足で病院へと向かった私です。
その夜は、さすがに疲労濃く、睡眠を七時間近く取り、元気回復に努めたつもりでしたが・・・・・・・
翌日も鉛のように体が重たくて、一向に家事がはかどってくれません。
そういえば、夫の世話で、時に涙声になりそうな厳しい介護生活が始まってから、一度も気が抜けない日々を送ってきた私です。
この疲れは、当然と言えるでしょう。
しかし更なる緊張の連続が、なおも続きます。
七五三も無事終わった翌日は、長女にお見舞いに行ってもらい、私はまた休養を取らせてもらうことに。
私にしては珍しく、1時間の長い仮眠を取るつもりで、ベッドに疲労濃い体を横にし、携帯を枕元に置きました
ところがその途端に、携帯のメロディーが流れ出しました。
何と、主治医のK先生が、夫の病室からお電話をかけておいでです。
私は驚きはね起き、姿勢を正し、緊張した心持で、先生のお話に聞き入りました。
その内容は、また次回に続きといたします。
最近は、ご覧下さる方々に、ご心配をかけるような終わり方ばかりで、申し訳なく思います。
ほとんど毎日、午後から往復4時間近くかけて病院に出かけ、余りに忙しく、心身ともに疲労も濃くなってきています。
そのため、ブログ綴りに十分時間をかける、物理的、精神的余裕が共にありません。
とは言っても相変わらず長文ですが・・・・・・・(笑)
今後もこのような形態で、続編続きの記事が続きますこと、なにとぞご理解下さいませ。
病院のあるT大学の構内もすっかり秋色に染まり、晩秋の趣です。
その光景を写真に収めたい、とカメラ持参で出かけても、行きは時間に追われ、帰りは疲れてぐったりで、カメラを向ける気力が沸いてきません。
今日は七五三の画像のみで、今後は画像なしの記事も、投稿するつもりでいます。
夫の順調な回復を祈り、娘からの報告を待ちわびながら、今日は家事に打ちこみましょう。
それにしても、七五三のかれんちゃんの可憐な姿が今も目に焼き付いて離れない私です。
ひと目、夫にも見せたいと思った私ですが、幼児の病室への入室は厳禁で、夫も身動きが出来ない状態では、その願いは叶えられず、本当に残念でした。
にほんブログ村 ランキングに参加中 です。
今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。