今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

縮景園を観光 懐かしい想い出  追記あり 麦さんへお願い

2023-04-01 07:17:38 | 旅行

お墓参りが終わった翌日、帰りの新幹線に乗るまで時間がが十分ありました。

同窓生に会おうかしら。

思い浮かんだのは、H君とKさん。

H君は郷里の市政で大活躍した人。

まるで知識の泉のような人です。

上京された時には何度か声をかけていただき、デートしたことも。

もちろん夫公認の間柄でした。

このブログにも数度登場いただいています。

 

一方、Kさんのご家族は、彼女自身も、ご主人様も、二人の息子さんも全員お医者様。

そう見られない家族構成では。

中高時代から、優秀なだけでなく、人間的にもできた本当に素敵な人でした。

実は、ひと月ほど前にお電話があり、お話ししたばかり。

息子さんは、広島市民病院の内科か外科の部長さんのようです。

広島市民でしたら、当然のようにこの先生をお慕いしていたでしょう。

 

縮景園で見た桜
ソメイヨシノより,枝垂桜が多い印象を受けました。

 

会うなら、このお二人のいずれかと思い、妹に104で電話番号を問い合わせてもらいました。

ところがH君は非通知。

それではKさんとも思いましたが、確かご主人様がお具合が良くない、と聞いていたことを思い出し・・・。

突然では悪いので、取り止めました。

友に会うとなると、二泊しないと、体力的にもう無理なような気もしています。

 

清風館(せいふうかん)
木造平屋建ての寄棟造。東側に数寄屋造の茶室。
園のほぼ中央に位置する、園内最大の建物。
園内その他建物はこの清風館を基準に配置が決められたと考えられています。

 

それでは、どうしましょう。

そして思い立ったのが、浅野家のお庭、縮景園を久しぶりに訪ねる事でした。

夫の七回忌で帰省した時の事。

ライトアップされた縮景園の夜景を、私の家族も妹家族も全員、観光に出かけたのですが・・・、

私は体力が尽きて、ホテルに滞在したまま。

その事を思い出し、リベンジしようと思い立った私です。

 

 

ホテルからタクシーで向かい、開園直後の時間に到着しました。

1620年(元和6年)に浅野藩、初代藩主が別邸の庭園として築成したもののようです。

浅野家と言えば、私が忘れる事の出来ない想い出があります。

分家のお殿様、浅野内匠頭と四十七士の討ち入りについてです

 

散った桜の花びらに非業の死を遂げた浅野内匠頭を思ったりして・・・
私が撮った中ではお気に入りの画像です。

 

実を申しますと、高校生の時、四十七士の討ち入りの話しに夢中になった時期が、私にはありました。

市川雷蔵が浅野内匠頭を演じた映画を観て以来の事です。

その後、大川橋像や他の俳優さんが演じる映画も観た記憶があります。

更に、大佛次郎著の分厚い「赤穂浪士」という題名の書物まで完読。

まだ高校生でしたのに、義理人情に弱い一面があったのでしょうか。

とてもとても懐かしい想い出です。

 

桜は三分咲きと言った所でしょうか。

 

そう言えば次女のMちゃんも、同じ年代の頃、新選組の沖田総司に夢中になり、本も何冊か読み、お墓も訪ねていました。

私も、赤穂のお城とお墓、都内にある泉岳寺もお参りしました。

こんなところにも、母娘の共通点を見る思いがして、なんだか不思議です。

 

 

そんな想い出ともつながる縮景園を久しぶりに訪ね、何だか感慨ひとしお。

でもお天気は雨模様で、青空は望めませんでした。

傘を差しながらの写真撮影は、結構大変。

 

 

ブロガーでなければ、写真撮影はほどほどにして、しみじみその風景と情趣に浸って過ごしたでしょうに。

ブロガーであるがために、写真撮影は欠かせない観光に。

観光する時、何だか自分のそんな振る舞いに、疑問を抱くこともよくあります。

 

けれどクリエイテイブな事が、私の性には合っていると思っているので、

カメラ撮影は嫌いではないのですけれどね。

 

相変わらず、昨年購入した新しいカメラへの苦手意識は拭えなくて・・・。

未だにすぐ操作が混乱してしまいます。

そのため、単純な方法でしか撮影していません。

撮る楽しみが、今のところ半減。

先が思いやられますが、キャノンさんに、ネットの取説をダウンロードしてもらったので、

何時か真剣に勉強したいと思っています。

 

 

縮景園のお話をするつもりでしたのに、また、何だか脱線してばかり。

せめて拙い画像で、庭園の雰囲気をご想像ください。

桜はまだ三分咲きと言った感じでしたし、

私が見る限りでは、ソメイヨシノより、枝垂桜がよく目に留まりました。

 

跨虹橋(ここうきょう)
天上と地上を結ぶ虹のような姿
被爆の際、爆風にも耐えたそうです。

 

池の向こう岸に渡れる橋は、傾斜があり、雨で濡れていました。

臆病な私は、滑って池に落ちると大変と思い、怖くて渡ることが出来ませんでした。

橋を渡る度に風景が変わるらしく、それが見られなかったのはとても残念でしたが。

 

私が渡ることが出来た唯一の橋です。

 

庭園は、私が思ったより、はるかにこじんまりしていました

恐らく悲運の最期を遂げた分家のお殿様、浅野内匠守も、この庭園を散策されたことがあるのでしょうか。

胸を熱くして、「赤穂浪士」の読書に耽った高校時代の自分をまぶたに浮かべもし、散策できた良き数時間でした。

 

帰省の行きの車中では、スマホでWBCの中継を夢中で観戦。

何と米国に勝利して優勝し歓喜!!!

夫とご先祖様のお墓参りも無事に終えることが出来ました。

帰りの車中は、日頃やり残したデスクワークをかなり消化。

体調も上々で、まだまだ私は元気と、自分の体に自信が持てた、本当に良き小旅行でした。

 

追記

実は数日前から、私はスマホでは麦さんのブログが見られる状況になっています。

パソコンには富士通の強力なフィルターを掛けてもらったため、アイフィルターが不要になりました。

それで数日前、パソコンのフィルターは解除してもらい、契約を解消しました。

ところが、その契約はスマホと一体になっていたため、スマホのフィルターも解除されてしまったのです。

わたしには、その再契約をスマホの画面でするのは、字を打ち込む作業がまだ苦手なため無理でした。

来週長女宅に行く予定がありますから、その時再契約することになっています。

その為、今はしばらくの期間だけ、見ることが出来ます。

そして今日、体が震えるほどに驚きました。

麦さんが余りに出たら目を書いておられるからです。

それは下記の如くです。

 

「私が出会う前に、桜さんが発することは ことごとく閲覧者に違和感をあたえたらしい

それで好ましくない感想が殺到し、コメント欄を閉じたと聞く

交流を求め、閲覧者の同意を望むにもかかわらず、書き込まれるのは反論の類が多い

快い感想だけを求めたコメント欄の開放には無理があったのでしょう

その葛藤のはけ口として、麦に誹謗中傷された被害者を演じ、閲覧者の同情を求めた。

そう思っている。

コメント欄を閉じた理由を確認したわけではないけれど・・・云々

 

あまりに酷い虚言。

ですからあなたの病的な虚言性に、長年苦しめられてきた、と失礼を厭わず、私は正直に申し上げたのです。

私のブログは最初からコメント欄はありません。

一度たりも設定したこともありません

体力的にも時間的にも、コメントのお返事を書くのは無理との理由からです。

記事にも何度かその理由を説明してきました。

 

嘘をついて私を中傷する。

平然と言葉巧みに。

執拗なあなたが、本当に私は恐ろしいです。

 

その行為を恥ずかしく思われないのでしょうか。

もう金輪際、止めていただきたいです。

よろしくお願いします。

 

 

 

 花のように泉のように

お立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

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