前々回の記事の時、万歩計の記録数をブログに載せませんでした。
余りに恥ずかしい歩数でしたから。
実は今デスクワークで夢中になっていることがあります。
デジタル家計簿の習熟です。
私は家計簿の記帳を初めてもう40年近くになります。
最初はノートに自己流で記帳。
夫の赴任で海外生活を送り、帰国後間もなくのことでした。
アメリカ滞在中は夫に家計を任せっきりだった私。
ドルだと商品の価格が実感できない。
そんな不器用な私でしたから。
夫に任せたのはこの期間だけでしたが。
ところが帰国して、我が家の家計のふたを開けてびっくり。
日本を発つ前にあった貯金がほとんどなくなっていました。
アメリカで新車を買い、家族旅行ばかりしていましたから。
デズーニーランドも大好きで、頻繁に出かけたものです。
ですから無くなるのも当然。
帰国した時、長女は六年生になったばかり。
尋ねたところ受験を頑張りたいというので 急遽家庭教師をお願いしました。
その後の入学金や授業料のことも気がかりで、一念発起した私です。
家計簿を付けて、計画的な暮らしをしよう、と。
それからしばらくは、大学ノートに自己流の記帳をしました。
その数年後に、同じく義弟の赴任でドイツで暮らしていた妹家族も帰国。
その妹にも、家計簿使用を勧めた私でしたが・・・。
研究熱心な妹は、大学ノートの自己流の記帳では物足りなかったのでしょう。
羽仁もと子さんの家計簿を使用するようになりました。
それに倣って、私も同様の家計簿を使い始め今日に至ります。
30代の中頃帰国し、その後、瞬く間に40数年の歳月が流れました。
夫が予定より早く帰国したのは、義父の容態の悪化が理由でしたから、間もなくしてのお別れが待っていました。
そして娘たちの中学受験、マイホーム建築、バブルの崩壊によりひと財産失い・・・。
その後、大学受験、私の親の介護と死別。
リーマンショックにより、我が家の家計は又大きな痛手を負うことに。
そして、夫の死別と実にいろいろなことがありました。
精神的にも物理的にも、山あり谷ありの人生でしたが・・・・・。
私の暮らしの土台にいつもなってくれたのが、羽仁もと子さん発案の婦人の友の家計簿です。
日本経済の荒波に翻弄された私が、今穏やかに恵まれた老後生活を送れるのも、ひとえにこの家計簿のお陰です。
家計簿を付けていたにも関わらず、遺産の大半を株式投資で失ってしまったわけは。
家計簿の記帳の収支は、常に夫の給料のみで行っていたせいかもしれません。
ですからこの大きな痛手にもくじけないで、その後も予算生活を堅実に送ることで無駄をなくし、何とか家計を立て直すことができた私です。
蓄財もできました。
ですから、羽仁もと子さんの予算家計簿には、いくら感謝しても感謝しきれない思いでいます。
ところが最近、いえ最近だけでなくずっと前からですが、月の終わりの収支決算の度にお金がまるで合わない。
羽仁もと子さんの予算家計簿を使用しているとはいっても、その記帳の仕方はかなり自己流。
細かな記帳は省略していました。
そのせいでしょうか。
月末の収支決算の度に、私は大変苦労します。
お金が合わなくて、収支のつじつまを合わせるのに、時には半日かかる事も。
そんな自分に嫌気が差し、家計簿の記帳は年齢的にもう無理なのでは、と思うこともしばし
ところが妹にその話をすると、
「デジタル家計簿だとそんな苦労は一切しなくて済むわよ。
すべて自動的に計算してくれるから。
一銭の狂いもなく、収支がぴったり合うわよ」と言いました。
29日と28日の歩数
未だにアナログ人間の私は、ずっとデジタル家計簿には全く興味がありませんでしたが、突然関心を抱くように。
そして妹の懇切丁寧な指導を日々受けることとなりました
その後の経緯は、また後日の記事で記します。
十年以上愛用している私のお気に入りのエレガントなコムです。
軽くて薄いためお出かけ時もいつもバッグに収めています。
多くの方がお買い求めくださいました。
お役に立てているなら嬉しいのですが。
お立ち寄りくださいましてありがとうございました。
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