今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

憧れだった友からの嬉しい言葉

2021-09-18 07:13:06 | 

前回の続きです。

今思い出すと恥ずかしくなるよな他愛無いことなんですけれどね。

思春期とは、些細などうでもいいようなことにも深く傷つき、自信を失ってしまう。

そうゆう時代なのではないでしょうか。

 

さて話を昨日の続きの本筋に戻します。

小学校の同窓会で、中学時代憧れだったIさんに、高校卒業以来初めて会えたと書きました。

恐らく遠目に彼女の姿を見かける同期の同窓会はあったと思いますが、すぐそばで長い時間にわたって交わるのは初めてでした。

 

彼女は小学校時代はクラスは違いましたが、集まった友達が6年間お世話になった恩師のお嬢さんでしたから。

この同窓会に出席して、先生のお墓に案内して下さったのです。

彼女とも、夜遅くまで一緒に過ごしました。

楚々とした優しい雰囲気は、中学時代と全く変わらなかった彼女。

郷里の国立大学を卒業後、ご結婚。

今は茶道の指導者としてご活躍と伺っています。

 

ルリマツリ

 

話を中学時代に戻します。

そのIさんと、中学は同じクラスになりました。

小学校時代は、成績は優秀で活発だった私ですが、世間知らずのお嬢様風(?)。

無邪気な学生でした。

 

ですから、お姉様ぽくて大人の雰囲気がすでに漂う彼女が私の憧れの的に。

仲良くなりたくて仕方ありませんでした。

ところがその内に、Iさんには仲良しグループができてしまったのです。

そのグループは名称までつけ、クラスでの存在感も大きくて、私の目にはその後ずっと気になって仕方ない対象に。

 

そのグループのメンバーの一人に、小学校時代、常に私に冷たい視線を向ける友もいたのです。

お父様は、郷里では有名な組長のお嬢さんでした。

お母様は継母で、いつも母の日には白いカーネーションを胸に付けていました。

とても美しくて頭脳も明晰。

でもどこか冷たい印象で、彼女の私に向ける視線がきつく、私は怖かったのを今でもよく覚えています。

この度の同窓会の幹事で親友と言っていいH君にも、二人は仲が良くなかったね、とからかわれます。

 

ヤブランとクリスマスローズ

 

その彼女が、私の憧れの人が居る仲良しグループのメンバーだったことが私を深く傷つけたのかもしれません。

優しくて穏やかな人柄だったIさんは、私が傷つき、辛い疎外感を感じていたことなど、知る由もなかったことでしょう

ですから彼女を非難する気持ちなんて、さらさら私にはありません。

 

でも思春期だった私は勝手に傷つき、次第に自信喪失。

小学校時代の自信も明るさも見る影もなくなり、高校に入ってからですが、数か月学校に通えなくなったこともありました。

もちろん、それだけが原因ではありません。

体力、集中力にも欠けるなど、複合的な要因が色々あったと思います。

 

そんな私でしたが、その時代を通して、自分の未熟さに痛いほど気が付いたのかもしれません。

そして成長したのでしょうか。

高校、大学、嫁いでからは素晴らしい友人に恵まれ続ける人生でした。

ブログで何度も書きましたが、敬愛できる多くの友人の薫陶を受けて、私は成長できたと思っています。

 

クフェアとコリウス

 

話が横道に・・・。

また元に戻します。

伊勢鳥羽の同窓会は、恩師のお墓参りの後、一同で会食。

同じクラスではなかったIさんとは、その日でお別れ。

翌日はみんなと一緒に伊勢神宮を観光し、三々五々、新幹線でそれぞれの地へと帰途に就きました。

 

酷い腰痛の腰を庇い庇いの同窓会出席でしたが、恩師の墓参、懐かしい同窓生との心行くまでの語らいのひと時。

憧れだったIさんにも会え、掛け替えのない想い出となりました。

 

それから一週間くらい経過したでしょうか。

Iさんから、お墓参りへのお礼の手紙が届きました。

間を置かずすぐお礼状を下さる彼女の気遣いに、さすが私の憧れの人と、改めて敬服の至りだったのですが・・・・。

 

その文面に、思いがけない言葉がありました。

「あなたがどんなに素晴らしい充実した人生を送られてきたか、あなたを一目見て私は分かりました」

と。

私には信じられないような文面でした。

私がこの世に生を受けてからいただいた、最高に嬉しい言葉だったかもしれません。

憧れの人だったIさんからでしたから尚更です。

 

大半をこの部屋で過ごしている私です。
ファミリールーム
私が一番憩える場所です。

 

私は、自らの過去を振り返ると、反省ばかり。

悔やむことが山ほどあります。

両親とだんな様に、もっとこうして上げれば良かった、ああして上げれば良かったと。

そんな心境に陥った時は、その時はそれが精いっぱいの器でしか私はなかった。

それ以上のことは無理だったのだから仕方ない、と言って自分を慰めるようにしているのですが。

 

一方では、私は幸運にめぐまれ、自分には過ぎた幸せな人生を送らせてもらったと思っています。

亡き夫には、感謝の気持ちしかありません。

このような有難い言葉を頂けたのも、主人のお陰だと今でも思っています。

 

今後どんな人生が私を待ち受けているのか分かりませんが・・・。

できれば幸せのオーラーを身に付けた女性で、いつ までもいたいものと思いますが・・・

老いるとはそんな生易しい事ではないよにも。

でも、先のことを、くよくよ考えても仕方ありません。

自分を磨く気持ちは忘れないで、

新たな一日を、精いっぱい素敵に過ごせるように、今日も頑張ります。

 

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貴重なお時間を割いてまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

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