クリスマスが近づいてきましたね。
幼い頃から、クリスマスは、一年で一番好きな行事でした。
お正月も、同じくらい好きだったかもしれませんが。
クリスマス前くらいになると、両親が必ず買い物に出かけ、袋を一杯提げて帰ってきたときの光景を、懐かしく今でも想い出します。
私がサンタを信じていた時代は、郷里が被爆してまだ年月がさほど経過していない頃。
豊かな暮らしとは程遠く、両親はいろいろ苦労しながらの、サンタさんのプレゼント選びだったことでしょう。
そんな時代だったからこそ、クリスマスとお正月の行事は、一層掛け替えのない大切なことだったのかもしれません。
今とは比較にならないほど、地味だったツリーの飾り付けやイルミネーションでしたが。
その頃から、西洋の香りを感じて、憧憬に近い心情を抱いていたのでしょうか。
でも、そのときめきも、成長するにつれ、次第に失せていった時期もありました。
けれど、クリスマスへの思いが一層高まるような出来事が、私の人生に起きました。
結婚後、憧れの西洋の国に、本当に住むことになったからです。
そこで見たクリスマスは、、キリスト教の国らしく、本格的な盛り上がりで、華やかそのものでした。
どこの家も、軒下にはイルミネーションを飾り付け、窓辺からは豪華なツリーが垣間見えました。
前庭にも、キリスト生誕時の光景をを表した模型人形などが置かれていたりと。
趣向を凝らした飾り付けをするお宅がありました。
そりに乗ったサンタさんが住宅地にやってきたりもしたものです。
当時は、教会にも通っていましたので、娘達と一緒にクリスマス礼拝にも出てキリストの生誕を祝いました。。
クリスマスイブには、娘達はサンタさんへのお手紙を用意し、枕元に置いて寝床に就いたものです。
渡米したのは、長女が小学校二年生になったばかり、次女はまだ幼稚園の年長さんになる年頃。
ですからもちろんサンタさんを信じていていました。
クリスマスの朝、主人が書いたサンタさんよりの英語で綴られた手紙を手にし、大感激していました。
娘達は、何歳になるまで、サンタの事を信じていたのでしょう?
実はこの件で最近、次女のMちゃんが、私にはとても思い付かないような想像力でもって、面白い話をしてくれました。
内容は、とても微笑ましくて愛くるしい事なので、ちょっと例えの表現が、ふさわしくないかもしれないけれど。
まるで、タヌキときつねの化かし合いみたいなことです。(笑)
長女家の孫息子R君は、小学校六年生の時、まだサンタさんを信じていると、娘から聞き、私は大変驚いたものです。
もう七年前の事になります。
そのことを思い出し、次女にも尋ねてみました。
「K君は、まだサンタさんを信じているの?」と。
今受験勉強に余念がなく、国語力は塾でもトップクラスのようです。
ですから想像力もあるでしょう。
何とそのK君も、サンタさんをまだ信じているとのこと。
本当かしら?本当かしら?
クエッションマークがいっぱい、私の頭の中で点灯しました。
すると、実にユニークなことを次女のMちゃんが言いました。
「もしかすると、もう信じていないのかもしれない。信じているふりをしているだけかもよ。
そうしないとサンタさんからのクリスマスプレゼントがなくなってしまうでしょ。
信じたふりをしていれば、親とサンタさんの両方から贈り物をもらえるから」
この話には、とても納得。
笑が込み上げて、なるほどなあ~、とK君の可愛い下心に感心してしまいました。
まるで親子の化かし合い。(笑)
もしかすると、R君のときは、長女はまんまと騙されただけかもしれませんね。
いえいえ、これは親の邪推。
本当に信じているのかもしれません。(笑)
なんとも可愛い、憎めないエピソードのご披露でした。
お孫さんがいらっしゃるお宅では、如何でしょうか。
お孫さんたちは、おじいちゃま、おばあちゃまからのプレゼントも、楽しみに心待ちしておられることでしょう。
私の夫からの孫たちへのプレゼントは、いつも千円前後の安価なものでしたが、とてもユニークで、孫たちはいつも大喜び。
私も若夫婦たちも、その着眼点の素晴らしさにに感心したものです。
今年は受験生がいる若家族たち。
塾通いが休日もあり、恒例のクリスマス会はないのかもしれませんが。
私は最近は、孫たちのクリスマスプレゼントは、親に選んでもらうことが多いです。
今の子供たちの趣向は、全くわかりませんから。
毎年クリスマスシーズンになると、心当たりがない大きな荷物が数個、アマゾンから我が家に届きます。
マンションには隠せるような置き場がないからと、我が家を隠し場所にしている次女夫婦。
何が入っているのでしょう。
私も楽しみ。
皆さまも、良きクリスマスをお迎えくださいませ。
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