先日の或る日の記事に、両親の遺品の文箱の画像を載せました。
その時、母が筆豆だった想い出をいつか綴りたいなぁ~と願ったのですが・・・・・・。
綴りたくても、思い通りに書けるかしら、と思うだけでで小さなストレスに。
可笑しな私ですね~
長文の傾向から抜け出せないことも、影響していることでしょう。
作文を書くような気持ちになってしまうのですよね。(笑)
蛇足ですが、こんなことを書くと自慢話と受け止められないかしら、としばらく悩んで、書いたり消したり、と。
ブログなんて、個人日記に過ぎず、ご覧下さる皆さまは、見知らない方達ばかり。
心から気楽に楽しんで綴ればよいものを、生真面目な(?)性格が、それを邪魔するようです。
今日はできるだけ気楽に綴りましょう。
とは言っても、母の疎かにはできない想い出。
さてその母は、私と異なり、とても筆まめでした。
筆まめだけでなく、字も達筆で、流れるような美しい字を書く人でした
年賀状は、得意な毛筆でしたためられていることが多かったです。
孫たちにも、よく手紙をくれました。
海外に在住のころは、孫のみならず私をも気にかける便りを頻繁に届けてくれたものです。
文章も、私たち家族を思う母の心情が溢れていて、いつも抱きしめたくなるほど、温かな内容でした。
母が筆まめで文章が上手だったことをよく物語る、エピソードがあります。
それをご紹介させていただきますね。
但しちょっと心配。
先ほど書きましたように、自慢話のように受け止められてしまわないかしら、と。
自慢するつもりはなく、知性が際立った人から褒められた母をすごい、と感嘆した覚えがあるからです。
私が娘時代のこと。
確か、中学生時代の想い出です。
束の間のことに過ぎませんのに、今も忘れないのは、よほど私の心に深く刻まれたのでしょう。
父方の祖父が、母の手紙を手にし私に見せながら、その内容と、届けたタイミングを、大層褒めたことがありました。
祖父は、ある国立大学の学長になった職歴を持つ、とても学識の高い人でした。
その祖父に、専業主婦に過ぎない母の手紙が褒められ、私は子供ながら余程嬉しかったのかもしれません。
そして母に感心したのだと思います。
もう遠い過去の事ですから、記憶が曖昧で正確ではありませんが。
「大変な状況の中、要領を得たこのような手紙が書けるお母さんは大したものだよ」
確か、こんな褒め言葉ではなかったかと思います。
花の画像はいずれも、昨日お墓参りをしたとき、境内で撮った写真です。
造り酒屋の当主の叔父がなくなり、その葬儀に参列するために、郷里の実家に戻った母でした。
叔父の職業柄、大勢の人が家に出入りしていたはずです、
そんな慌ただしい状況にもかかわらず、母は部屋の片隅で、その様子を義父に知らせるために、ペンを執ったのでしょう。
祖父は、母と遠縁の間柄でしたから、連絡する気配りが働いたのではないかと思います。
私でしたら、遠方から出かけ、参列するのが精いっぱい。
手紙を書く心の余裕など、あろうはずがありません。
母は私に似て虚弱体質で、気力で暮らしているようなところがある人でした。
疲労も濃かったでしょうに。
こんなにさりげなく手紙を認められるのは、母の文才はいうまでもありませんが。
それだけではなく、まめな性格、優しさ、器用さ、いろいろその理由はあるでしょう。
茶道、華道、料理、日本舞踊、編み物、短歌、書道.
母が打ち込んだおけいこ事を、思い出す限り、習った順番に書いてみました。
いずれも、上達の域に到達するまで、一つ一つのお稽古ごとに励んだ母でした。
幼子を引きつけてやまない、輝いたチャーミングな笑顔も忘れられません。
母が詠った短歌を三句、ご紹介させていただきますね。
佇ち止まり眼凝らして松陰の遺品の前に孫は動かず
旅よりの孫の電話の声はずみ志賀高原の涼しさ伝う
寂として動く一葉もなき庭の松の木に間にかかる満月
今この記事を綴りながら、改めて母の想い出を、感心しながら振り返っている私です。
ご覧下さいまして有難うございました。
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