美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

アジール(加藤咄堂)

2017年03月20日 | 瓶詰の古本

   中世の欧羅巴にはアジール(Asyle又はAsile)といふものがあつて、罪科を犯したものでも一定の場所に入れると捕へることが出来ないので、それは丁度小児が鬼子ツこをして、或る場所につけば捕へられぬやうなもので、土俗学上既に早く人類生活の上に現はれて居つたのが、中世には寺院の内が其の場所となつて、その処へ入れば捕へられぬといふことになつた。我が国にも遁科屋なぞといふ語があつて、そこへ駆け込めば助けられるといふ風習の存したことは平泉澄博士の「中世に於ける社寺と社会の関係」に於て詳しく研究せられて居るところで、殺生禁断の場所へ逃げ込めば鳥獣も助かるやうに、罪人も此境地に逃げ込めば助かるから、不逞の徒が寺院に駆け込んで、それが僧兵となつて暴れ廻るものの手先となつたのもあらうし、又は真に道を求めて行ひ澄したものもあらうが、兎に角、寺院に入れば助かるといふことが、後に他人に済まないことなぞしたものが、坊主になつて謝るといふやうな風習を生じたのではなからうかと思ふ。薩摩藩では寺入とて島津義弘以来、武士にして軽い罪を犯したものは、之れを寺に入れて僧に就て道を開かしめ、改悛の情あるものは之れを赦すの風があつたといふ。

(「はなしの庫」 加藤咄堂)

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