か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 49

2018年12月20日 | 韓国

<前回のつづき>

もちろん大韓民国の歴史がすべて誇らしいものであるとは言えないだろう。もし自慢するものや誇らしいものだけを感じるならば、いわゆる八不出(物事の根本を誤った考え、訳者注)のインチキ歴史観であるか国粋主義者たちの傲慢な歴史観だろう。歴史において残念なこと、悔恨も合わせ指摘されるとき未来に向けた均衡ある史観となりうる。そういった史観は我々自身のみならず子孫たちにためにも必要である。周知のように大韓民国現代史においては屈曲と挫折と痛みの記憶がある。

とくに三つの未完成を持っているからだ。「民族主義の未完成」、「産業社会の未完成」、「民主化の未完成」がそれだ。時代錯誤的国土の分断が続いているという事実自体が未完成の民主主義を雄弁に語っている。民主主義が完成していたなら、今まで経験しているこの分断の痛みはすでに解消されているはずだ。

産業化も鳴り物入りで始まったが、完成できないでいる。だから自信をもって爾後の産業化を語りがたい。産業化が完成していたらあちこちに見えるすべての資本主義の矛盾と市場の失敗、労使紛争などが今より大幅に減少していたはずだ。

民主化はどうだろう。民主化が完成していたら民主共同体の質は今よりはるかに向上していただろう。政党と政治は、「塩まく」とか「くやけくそになる」対象ではなくて愛と愛情、尊重の対象になっただろう。今でも小学中学高校で学生たちを連れて国会議事堂見学をすることができない理由も国会議員たちが対立したり勢力争いなど黨同伐異(価値判断ができず盲目的に一つの価値しか認めないこと、訳者注)が普通になっている習性を正すことができないでいるからだ。

 

このような未完成は私たちが「大韓民国賛歌」を歌うことにだけに専念せずに「大韓民国の完成」のために精進しなければならない理由でもある。しかしだからと言ってすべての未完成が極悪なものであるというのではない。極悪であるというような批判の対象にさらされることはない。シューベルトの「未完成交響曲」が美しいように大韓民国の未完成にも美しいものがあるからだ。

 

Ⅳ    大韓民国は「誇りある歴史」

             

                      朴ヒョージョン ソウル大教授

「独立60周年の「事実主義と教科書をまともにする運動」時代朝鮮2005春通巻28号

 

われらは奇跡を成し遂げ民主化も成し遂げた。人権、民主化、産業化福、福祉度などどんな物差しを当てても大韓民国は「ミッションインポッシブル」を成し遂げたと自負できる立場を築いた。世界的に大韓民国は第三世界で成功した国家の代表的事例になったのである。「ゴミ箱にバラが咲かないように韓国に民主主義を期待できない」との欧州人たちの陰鬱な展望をわれらは変和的民主化により立派に反証して見せた。また、韓国では高速道路は作れないし製鉄工場も不可能だと診断した批判的展望をわれらは行動と実績で痛快に反証した。圧縮成長がその秘訣だ。我らは、「やればできる」という気持ちで団結し今やそれぞれ富國化に向かって漕ぎ出しているではないか。



 次回は、실패한 국가’에 민족적 정통성을 부여하고 ・・・から

©からけん


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