か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

Hotels for Foreigners only

2015年09月01日 | 食・レシピ

 

かつてこの地には、Grand bleu の映画で有名になった素もぐり潜水士Jacques Mayol(ジャックマイヨール)が上海から避暑に訪れていた宿が在った。

 

(この先に海浜館 2015.8.30)

 

その昭和初期をさかのぼること40年。明治20年代に、井上馨は無い頭を使って考えたものだからとんでもない狂った欧化政策を採る。鹿鳴館だ。

ダンス等踊ったことはもちろん見たこともない女学校の生徒まで狩り出し、2階のBall roomに引きずり出し、ラジオ体操のような踊りを踊らせた。

井上馨はこんな下品で的外れなことが日本の欧化政策になり、ひいては不平等条約の改正にまで繋がると夢想した。外人は失笑した。

井上ポン介の試みは大失敗に終わり、むしろ日本の未開さを見せ付けることになった。

だが地方において、Foreigner用のホテルがないことは深刻だった。それとゴルフ場。明治20年代後半に日本の一等地にホテルとゴルフ場が建てられた。

雲仙の仁田峠のところにあるゴルフ場。そこは九州初のゴルフ場だった。朝早く行くと人が少なく高原のツーンと冷たい空気が気持ちいい。

その近くの別所というところにも元外人専用ホテルがある。ゴルフ場であろうがホテルであろうが上品に営業を始めたところはどう時代が変わっても、今やはり品を失ってない。

海濱館(唐津)について書く。旧名、海浜院ホテル。明治の時代は唐津の繁華街から10キロあまり鉄道馬車が走っていた。馬車は日本人の喧騒を避け広い松林の中を走った。(虹ノ松原)その松原の中、そのホテルはあった。

(内縁の妹はライスをお茶碗のように手で持って食べた。振られる覚悟で仕込みます)

 

不思議なもので、栴檀は双葉より芳し、とはよく言ったものだ。僕は検索で出るようなことは書かない。もし書いてもそれは言いたいことのための手段だ。

で、それらのホテルやゴルフ場が、今に至っても何かしら持っている不思議な雰囲気の出所はどこだろう。9ホールでも満足感はどこから来るのか。毎回新しい味を紹介できる腕前はどこで仕込まれたのか。

このごろ出来た汚いゴルフ場はきまって中小企業の親父がいる。従業員を働かせ自分はゴルフか。逆だったら犯罪になるな、この国は。

共産党は十年一日大企業に抑えられた中小企業という念仏を捨てろ。ゴルフに限らず僕のクルーザー仲間は皆中小企業のオーナーだ。そしてみな下品だ。

コースを回る途中でつばを吐く。立ちションをしようとする。露天風呂のお湯でうがいをして湯船の中に吐く。

海浜館ではたいした金持ちとあったことはないが、静かに話し音を立てずに食う。話題は面白いが口にモノをためて笑うことは無い。中央のピアノは誰かが弾いてくれるのをまっている。

つまりバカを排除する見えない威力を持っている。「さとう別荘」(福岡 小郡)もそうだ。2~3万の鴨料理なんて、チンピラコガネもちにとっては何でもない。だがその料理店ではチンピラを見たことがない。

(カモについたも後日詳しく)

そうだ。マナーがわからんのだ。人に面と向かって爪楊枝でシーハシーハするようでは、一生静かに深い話をすることは無い人だ。サルに生まれればバカにされることも無かったのに。

 

ここまで書けば分かるように、Clubとは排他的な同好の士の集まりだったのだ。平等を叫ぶ下賤の民がいるが、だらけた生活と不まじめな学習態度で一貫して生きてきた、はしたない人生がどうしてClubにはいれようか。

 

差別とは何かを獲得した人が持つ神からのご褒美だ。

(ケーキについても後日詳しく)

http://hitosara.com/0006008376/

残念なのはその区分が壊れつつあること。会員権数千万以上のゴルフ場はそれなりのことがあった。今、カネ払うけんよかろうもん(おカネを払うからいいじゃないか)という人たちが文化を食い荒らしている。

Club House どうか存在理由をなくすな。

 


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