か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

Love is blind.

2015年09月06日 | 受験・学校

俺はもうすぐ死ぬから、書斎の本を好きなだけもっていっていいよ。そういう奇特な人間がいたので、ありがたくごっそりバイクにのるだけ乗せて持ち帰った。

死に際にそういわれて持ち帰らないと失礼なようで、本当のところはしかたなくそうした。つまらない本ばかりだった。

人生には、意に反することもせざるを得ない時がある。

(Love is blind.)

ポイントとなる点は次の2点だ。

①  競争原理は人間を差別するものだから教育になじまない。

② 教育(学校教育)は万能である。(これについてはまたの機会に)

すると、点数のつかない教育が正しい教育であり、教師はどこまでも一人の子供のために人生をすりつぶし、他の多くの子供を犠牲にしなければならない、となる。

理由のない差別、合理性を欠く差別は、最高裁判例を待たずとも許されない。ただ、一見やさしさにあふれたその言葉が残忍な言葉であることに気が付く教師はほとんどいなかった。

能力のある子供が犠牲になるじゃないか。子供は信じられないほどの可能性を持つ。そこを競わせ伸ばしていくのが教育じゃないか。

教える技術、つまり授業の上手下手は結果としてあまり成績には影響しない。その影響は0ではないが思ったより少ない。たしかに「お前の数学を聴いたのでわからなくなった。」という出来損ない教師もいる。

ひとまずおく。

今にもその影響はあるが、5,4,3,2,1、の五段階評価は差別であるから廃止しよう、というばか。当時一クラス60人以上のクラスを一人ひとり文章で評価したら、一学期かかる。遠山は国家予算が5兆円にも満たない貧乏国で無謀な思想を展開した。(昭和30年代)

運動会は手をつないで走ろう。男女は一緒に着替えよう。騎馬戦は馬になるものと馬に乗るものとに差別がある。出席簿は男が先なのは差別だから50音順でいこう。・・・こうして差別のないよい社会を作ろう、と。

バカは加速する。だからバカな組合に責任があるというのも可愛そうだ。

少なくとも知識の戦場で生きたものは責任を取るべきだった。人一倍子供を大切に思う善人のフリをした悪性の硬直能無し野郎=Love is blind。

もう遅い。

 

 

 

 

 

 

 


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