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か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 45

2018年08月23日 | 韓国

前回の続きから


朝鮮の国家イデオロギーである性理学(万有の「理」と人間の本質である「性」、朱子、訳者注)によると百姓があまねく良い暮らしができる「均」の状態を理想としていた。孔子が論語で述べた「国を治める人は貧しいことではなく均等でないことを憂いた。」(有國有家者 不患貧而患不均)という言葉がまさにそれだ。すべてのものが等しく生きること、そのような集団的生存倫理に忠実である経済のことを人類学者たちは道徳経済(moral economy)という。世界のすべての前近代的社会がそのような道徳経済に属していた。反面、近代の市場経済が成立するためには道徳経済に代わって個人の営利追及を正当化し生産の効率性を求める経済倫理が成立する必要がある。西欧ではまず最初に英国がその変革をなし。アジアでは日本が18世紀を前後してその段階に至ったと評価されている。残念ながら朝鮮ではそのような近代の経済倫理が発達しなかった。道徳経済の集団的生存倫理が依然として強固であったなか人口増加と環境破壊という未曾有の挑戦をうけ朝鮮王朝は合理的な対応に失敗してしまった。
              出典 <時代朝鮮>2005秋、冬通巻30号
 

 

Ⅳ まとめ   「青年たちよ、古い歴史観を捨てよ」
                 ソウル大教授の見解 イヨンフン教授
 

この文で私はまず韓国の若者たちが精神的に自由であり自律的な文明人の観点から、しかも一つの社会の統合体として国家が失敗をしてしまった原因が何だったのかという文明史的観点から、今から100年前に存在していた朝鮮王朝の滅亡という歴史的事件に接近する必要があることを強調してきた。しかるのち、当時の高宗と執権勢力がとった盲目的な反日外交が想像もできなかったほどの一大災難をもたらしたし、そのベースには世界文明の中心を中国と朝鮮においた道徳主義的世界観が土台にあったことを指摘した。さらには経済体制の長期変動という観点から朝鮮の経済は集団的生存倫理に基礎を置く道徳経済であり、その経済倫理の行き過ぎた頑固さが人口増加による環境破壊の危機を克服できなかったことも指摘した。

要するに道徳的世界観と道徳的経済倫理の「道徳」、それが問題だったのだ。「道徳」、まさにそれが朝鮮王朝の外交と経済を失敗させた。朝鮮人の精神が曇ってしまったのもそのせいであり、文化が沈滞したのも、非道徳的に争ったのも、まさに「道徳」のせいだった。もちろん人間はパンのみにて生きているのではない。近代の文明人が人は生まれながらに誰にも渡すことのできない天賦の権利を持って生まれてきたという最高の普遍的な道徳を発見した。そのような近代的道徳をどうこう言うのではない。朝鮮王朝を失敗させた「道徳」はそのような近代的道徳ではない。そこでの「道徳」は「われら」が文明の中心であり、少しは貧しいかもしれぬが「われら」みんな飢えることのないのが文明なのだという閉鎖的なまた集団的な生存倫理の前近代道徳」なのである。

何年か前から、特にこの政権が樹立されてから、「われら」もしくは「われらだけ」というとんでもない集団倫理が政治において、南北関係において勢いを増している。文明史の視角から見るときそのような集団主義がいかに不吉な兆候であるのかを韓国の若者につたえたくてこの文を書いた。くり返すと、今から100年前朝鮮王朝が滅亡したのはまさに「われら」という集団的生存倫理のせいであった。

 

© からけん

次回用メモ  <시대정신>2005가을,겨울 통권 30호


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