《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

おのころ島探索「まーええかっ…」

2017年03月26日 | Weblog

「菜の花ホール」を出ると時刻は16時半を過ぎていた。
夕日が期待できる「夕日百選・慶野松原」まで約10キロ、
今日の日の入り時間は16時50分だったことを思い出す。
さー大変。松原に着いたのは17時。
駐車場から砂浜まで、足がもつれるが猛ダッシュ。
しかしすでに夕日は山の向こうに落ちており残照だけが…。
息切れの中でシャッターを切った1枚。


おのころ島探索「江戸時代の日本の海商」

2017年03月24日 | Weblog

淡路生まれの高田屋嘉兵衛は江戸時代後期に、国後、択捉島間の航路を開拓した廻船業、海商。
ロシア軍に捕縛されたゴローニン事件と司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」で知られる功績を紹介する施設。
一介の船乗りから、たった一人で日本とロシアの国際紛争を解決した江戸時代の豪商・高田屋嘉兵衛の資料館。


おのころ島探索「ご神木のパワー」

2017年03月23日 | Weblog

明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であった。
御陵を中心として神域の周囲に濛が巡らされた周濠遺構。淡路国一宮と呼ばれる「伊弉諾神宮」。
日本書紀に伊弉諾大神の「幽宮」(かくりのみや)とある最古の神社。
国つくりの神とされるイザナギとイザナミを祀っている。
樹齢約900年の天然記念物「夫婦の大楠」や、左右の目から神が生まれた事に由来した左右神社がある。
大楠にタッチしてパワーを頂く。


おのころ島探索「旅の途中、こんなこともあります」

2017年03月22日 | Weblog

思いもよらず道沿いに天守閣が…
「戦国時代は三好一族の勢力下で、海路を監視するため櫓や砦はあったかもしれないが、
歴史上実在しなかったらしい、個人が平成2年に作られた架空の城。
三階三層の優美な天守閣の周りを、萬翠美術館、錦翠集古館など、美術の宝庫が囲んでいる」とあり、
「一宮淡路城」は只今閉館中だった。


おのころ島探索「神話との関係…」

2017年03月21日 | Weblog

五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)。「整備予算が付き只今急遽整備中」との話。
遺跡は淡路島の西側海岸線から三キロの丘陵地にある。
弥生時代後期・1世紀ごろのおよそ100年間にわたり存在したと考えられる。
弥生時代後期の鉄器製造施設跡が23棟から成っており、うち12棟から鉄を加工した炉跡の遺構が確認された。
遺物の鉄器は、矢尻、鉄片、鏨(たがね)、切断された鉄細片など75点が出土、
また石槌や鉄床石(かなとこいし)、砥石など、鉄を加工するための石製工具も数多く出土した。
1棟の中に10基の鍛冶炉がある建物も発見され、これまで発見された弥生時代の鉄器製造遺跡としては、
最大規模。住居は少なく、鉄器製作に特化した特異な遺跡。
耕地面積が少なく人口も少なかったと思われる島で、これほど大量の鉄器は必要ない。
大和王権成立にいたる戦乱期の中で重要な役割があったようにも云われているが、
権力の象徴が銅剣、銅鐸から「鏡」に代わる時期と考えれば、
神話・神武天皇東征の「基」と考えられないだろうか…。
工事中のため入れず遠望。