《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

幸村探索・大坂「そして戦いは終わった」

2017年03月06日 | Weblog

慶長19(1614)年の和睦の翌日から堀の埋め立てが始まり、
外堀だけの条件が「なんと」内堀まで埋められてしまった。
家康の計略にまんまと、はまってしまい結果、防御機能を失った丸裸の大坂城。
翌年5月7日、再び天王子口での戦いが火ぶたを切った。
徳川勢15万に対して大阪側は1/3の5万余りで応戦。
その中の一人真田幸村は、もう一歩のところで家康を討ち漏らしたことは、彼の運命だったかもしれない。
豊臣家は滅亡し、戦国時代最大の戦いは終わった。
図の赤、青は一心寺大坂の陣歴史探索案内・大阪都市協会刊「図解再見大坂城」に加筆したもの。