《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道を歩くⅠ・奈良街道「轟橋」

2014年06月24日 | Weblog

県庁東の交差点から国道369号線を200メートル北東側に 「雲井阪」 の石碑がある。雲居坂(くもいざか)、「雲井坂雨」 としているものもある。 この碑の東に「みどりゐ池」があり、そこから流れ出した水は川となり、そこに掛けられていた橋を「轟橋」と呼ばれていた。いま、考えられないが「轟」と云うからには水量は多かったのだろうかっ。


旧街道を歩くⅠ・奈良街道「道標」

2014年06月22日 | Weblog

奈良へ至る街道の総称を奈良街道いう。京都から伏見をえて奈良へ至る街道は「大和街道」とも呼ばれているが、奈良側からは「京街道」とも呼ばれている(街道資料Ⅰ)。県庁東交差点に立つ道標。西面に「右 大坂 いせ 左 うぢ 京」南面に「右 かすが 大ぶつ」北面に「すぐ なんゑんたう」そして北面に「安政4丁巳年(1857)11月建立」と複数の世話人名。


旧街道を歩くⅠ・奈良街道「宝蔵院流鎌槍発祥の地」

2014年06月20日 | Weblog

建物は博物館の旧館西側にあったが明治の廃仏毀釈の時に壊された。今は井戸の跡だけが残っている。ガイドによっては「もう少し南側だ」と説明するが間違いの様で、いま足で踏まれている石板が当時の宝蔵院の井戸の石蓋である。余談:ここで創案された「十文字槍」は春日のお告げがあったとか、池に写った三日月を見て思いついたとか。剣豪・宮本武蔵が宝蔵院と試合をしたとか、また荒木又右衛門が宝蔵院で学んだという話もある。


旧街道を歩くⅠ・奈良街道「人造石の橋」

2014年06月19日 | Weblog

今は忘れ去られているが明治28年(1895)4月の帝国奈良博物館の開館の時に設置された橋。コンクリート製だが、当時「人造石の橋」と呼ばれていたそうだ。良く見ると御影石のように表面は仕上げられている。案内標識もなく目を向ける観光客も今はいないのが寂しい。博物館南側の国道24号線からの入り口にある。